皆さんこんにちは
またまた、一週間が始まりましたね
そんな月曜日の今日は、とても寒い一日になりました
とうとう冬が到来って感じです
寒い中、パソコンに向かいながら、
今週も頑張って書かせていただきますので、宜しくお願いしますね。
月曜日のテーマは「私の体験した不思議なおはなし」です
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今日の不思議なお話は、
皆さんにとっては不思議でもなんでもないお話かもしれないのですが、
私にとってはとても”不思議な感情”の体験をしましたので、そのお話をさせていただきます。
子供の頃から大人になるまで、私は仏像や仏具を見ると恐怖でおののいている人間でした。
仏壇を見るのも怖いし、お寺に行くことも怖い。
お寺のご本堂にいるのも怖いし、本堂の本尊である仏像を見るのも怖い
異常なほど、仏教に関する世界に対して恐怖を感じていました
では何故、
そこまで異常に仏教に関連するものを怖がっていたのか・・・
自分自身もよくわかっていません
一つ理由をこじつけるとすれば、
祖父が死んだ時の葬式の様子が悲しく、死=仏教の世界と感じていたのかもしれません
ただ、これはあくまでこじつけで真相は判らないんです
ところが、その恐怖が一瞬のうちに消えてなくなった”その時”がありました
それが不思議で不思議で、今でもその時の状況を鮮明に覚えています。
「その時」とは・・・
私の父が死に、お寺に亡骸を運んで新婚当時の私と妻が父と再会した”その時”です。
私の年齢は26歳。
ということは、26歳まで仏教様式に恐怖を持っていたのが私だったわけです
父が亡くなった身体を見た時は、悲しさや怖さは待ったくありませんでした。
それどころか、”この身体にはもう父はいない”と感じる事が出来、
「昔から亡骸とはよく言ったもんだ」と関心したのを覚えています。
しかし、父の亡骸が横たわっている部屋には仏像が20体近く安置されていて、
その光景に私の心は恐ろしさで震えてしまいます
そんな私を見て何かを感じたのかどうかは判りませんが、
突然、私の奥さんが、ある仏像に視線を向け「あの仏様可愛いね」と呟いたんです
「仏像が可愛い なんて気味悪い表現なんだ💢」と
私は少し機嫌が悪くなりかけた”その時”、
私の目にも可愛らしいお顔の仏像が飛び込んできたんです
「確かに可愛いね ホッとする顔立ちだね」と自然と私の奥さんに答えていました
そんな風に仏像を見て、感じたことは生まれてから一度もなかったものですから、
その言葉が出た感情はとても不思議な気持ちになってしまいました。
そして、その言葉を発した後、他に安置されている仏像にも視線を送ることが出来たんです。
それも、ゆっくりと・・・
見渡してみるとそれぞれ表情が違い、それぞれ趣のある顔立ちの仏像が
私たちを見守ってくれていることがよく判りました
たわいのない夫婦の会話ではあったのですが、
26年間恐ろしくて見ることを拒んでいた仏像への感情が、”その時”によって、
始めて・・・恐ろしさから安らぎへと変わった”時”となったのです。
”あの時”から、
嘘のように仏教様式に対して、仏像に対して恐怖を感じることがありません。
それどころか、仏像への興味が生まれ、今では”神社仏閣フェチ”となっています
本当に人とは、何かのきっかけで変われるものなんですね
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今日のお話はこれでおしまいです。
仏像ブームが数年前起きましたよね。
仏像を愛する人たちが日本にたくさんいることをその時知りました。
私も、もう少し余裕が出来たら、全国の有名な仏像を「見て歩きたいな」と思っています。
26年間も遠ざけていたのにね・・・😁
では、また来週
元ディズニー親父の松本でした。