経済学者の成田悠輔氏が、TBS系『サンデー・ジャポン 2026年大予言SP!』(1月4日放送)の中で、日本の現状について極めて厳しい認識を示した。
成田氏はまず、日本人は気づかないうちに状況が悪化していく「ゆでガエル」の状態にあると述べた。円安や物価高についても、一時的な景気対策や国内政策で解決できる問題ではなく、海外要因を含む構造的な問題であり、現状の延長線上では打開が極めて難しいと指摘した。
その上で、高市政権が進めている物価高対策について、「実質的には物価高対策になっていない」と明言した。物価が上がって苦しいからといってお金をばらまく政策は、かえって消費を刺激し、結果として物価高を助長してしまうという逆効果を生んでいると説明した。
さらに成田氏は、物価高が進むことには、政府や財務省にとって都合の良い側面があるとも述べた。物価が上がれば名目上の税収は増え、これまで積み上がった国の借金は実質的に目減りする。そのため、国の財政運営という観点だけを見れば、物価高は必ずしも不都合ではないという構造があるという。
こうした状況を踏まえ、成田氏は、日本人が物価高で苦しみながらも大きな変化が起きないまま「ゆでガエル」になっていく状態を、国が結果的に望んでいる側面があるのではないかと、強い皮肉を込めて指摘した。
日本はいま、すべてをこれまで通りに守り続けることが難しい状況にある。人口は減少し、財政には限りがあり、社会を支える人の数も減っている。人口・お金・時間、そのすべてが制約される中で、「すべてを維持する」という選択肢は、すでに現実的ではない。
それにもかかわらず、私たちは長い間、その現実から目を背けてきた。状況が少しずつ悪化していることに気づきながらも、大きな決断を先送りし続けてきた。その結果、日本社会は気づかないうちに身動きが取れなくなる、いわゆる「ゆでガエル」の状態に近づいている。
いま必要なのは、「何を守るか」だけを考えることではない。「何を手放すことで、何を守るのか」を明確にすることである。これは道徳や理想の問題ではなく、日本社会が生き残るための現実的な問いである。
まず、手放すべきものがある。
第一に、過去の成功体験を前提とした制度を、そのまま延命し続ける考え方である。高度成長期や人口増加期に設計された社会保障制度や雇用慣行、地域配置を、人口減少社会にそのまま当てはめることは不可能である。それにもかかわらず、制度の根幹には手を付けず、負担だけを現役世代に積み上げてきた。その結果、制度は形として残っていても中身は弱体化し、信頼だけが失われつつある。制度を守っているつもりが、実際には制度を空洞化させているのである。
第二に、誰も決断しないことを良しとする合意のあり方である。全員の同意を待つ姿勢は、一見すると調和を重んじる日本社会らしいが、人口減少の時代には機能しない。合意を待っている間に状況は確実に悪化し、結果として誰も責任を取らず、何も変わらない構造が固定化される。
第三に、形式的な平等への過度なこだわりである。全員に同じ支援、同じ制度、同じ負担を与えることは公平に見える。しかし資源が限られる社会では、本当に必要なところに十分な支援が届かなくなる。その結果、弱い立場の人も、支える側も、同時に疲弊する。守るべきなのは平等そのものではなく、社会が機能し続けることである。
第四に、挑戦しないことが最も安全だという価値観である。失敗を許さない社会からは、新しい成功は生まれない。現状維持を選び続けることは、短期的には安定に見えても、長期的には衰退のリスクを高める行為である。
では、何を守るべきか。
第一に守るべきは、社会が最低限回るための基盤である。治安、医療、インフラ、教育、行政への信頼。これらは効率やコストの議論よりも優先される基礎条件である。一度失われれば、後から多額の資金を投じても容易には回復しない。守るべきは組織の形ではなく、それを現場で支える人と機能である。
第二に守るべきは、社会的信頼と秩序である。日本社会の大きな強みは、相互不信に陥らなくても社会が回っている点にある。ルールが守られ、約束が機能し、公共空間が荒廃しにくい。この目に見えにくい資産を失えば、社会全体のコストは急激に増大する。
第三に守るべきは、次世代が希望を持てる余地である。努力しても報われないと感じる社会は、長くは続かない。守るべきなのは現在の世代の水準そのものではなく、社会が世代を超えて循環し続ける可能性である。未来に投資しない社会は、現在すら守れなくなる。
第四に守るべきは、現場の裁量と誇りである。すべてを中央で管理し、細部まで指示する統治には限界がある。地方や現場、中小企業や専門職が、自ら判断し、責任を持って改善できる余地を残さなければ、社会は硬直し、脆弱になる。
結局、日本社会が選ばなければならないのは二つの道のどちらかである。過去を守るために未来を削る道か、未来を残すために過去の一部を手放す道か。その選択を曖昧にしたままでは、最終的に何も守ることはできない。
何を捨て、何を守るのかという問いは、政策の細部の議論ではない。それは価値判断であり、覚悟の問題である。その覚悟がなければ、日本社会の持つ良さは生かされず、問題だけが静かに積み重なっていくことになる。