江戸時代の寺子屋は、制度として設計された教育機関ではなく、生活の必要から自然発生し、都市部だけでなく農村部にも広がり、全国で1万カ所規模に達した庶民教育の基盤であった。読み・書き・そろばんを中心とする実用的な学びは、子どもだけでなく大人も含む地域全体に共有され、寺子屋は学習の場であると同時に、居場所であり、相互扶助と奉仕が循環する共同体の中核だった。
現代のこども食堂は、表向きは食事支援の場であるが、その実態はすでに寺子屋の入口に立っている。安心して集まれる場所があり、地域の大人が関わり、無償・半無償の奉仕が自然に行われ、子どもだけでなく高齢者や若者も交わる。これは、かつて寺子屋が全国に広がった条件と本質的に同じである。
こども食堂を寺子屋へ進化させるとは、教育機能を形式的に付け加えることではない。食・学び・人間関係を切り離さず、生活の延長として再構成することである。評価や成績、資格を持ち込まず、学びを義務ではなく「役に立つもの」「一緒に考えるもの」として位置づける。その軽やかさこそが、寺子屋が長く続いた理由であった。
ここで重要になるのが、政府の役割である。寺子屋モデルを現代に根づかせるためには、民間の善意やボランティア精神だけに依存するのでは限界がある。江戸時代と異なり、現代社会では時間的・経済的余裕が乏しく、地域の力は弱体化している。したがって、政府が明確な方針を持って後押しすることが不可欠である。
現在の子育て支援政策は、給付金や補助金、個別家庭への支援に偏りがちである。これらは一定の効果を持つ一方で、孤立した育児を前提とした対症療法にとどまりやすい。むしろ、子育て支援の一部を「寺子屋づくり」への支援に振り向ける方が、結果としてより良い社会を実現できる。
寺子屋型の場が地域に存在すれば、子どもは見守られ、親は孤立せず、高齢者は役割を持ち、若者は居場所を得る。支援が個人に分断されるのではなく、地域という単位で循環する。これは単なる教育政策ではなく、福祉、少子化対策、地域再生を同時に達成する社会基盤づくりである。
政府の役割は、管理や統制ではない。場所の確保、安全面の整備、最低限の財政支援、制度的な後ろ盾を用意しつつ、運営の自由度を最大限に残すことである。評価指標や成果主義を持ち込めば、寺子屋は再び制度疲労を起こす。政府は主役ではなく、黒子に徹するべきである。
江戸時代に寺子屋が全国一万か所に広がったのは、「良いことだから広げよう」と号令がかかったからではない。生活に必要で、地域に役立ち、無理がなかったからである。現代において、その条件を意図的に整える役割を担えるのは政府しかない。
こども食堂を寺子屋に進化させることは、過去への回帰ではない。温故知新の実践であり、分断が進んだ社会を再びつなぎ直す未来への投資である。子育て支援を「個人への給付」から「地域の学びと居場所への支援」へと転換するとき、日本社会はよりしなやかで、持続可能な姿へ近づく。
寺子屋づくりへの公的支援は、単なる施策の一つではない。人を育て、地域を育て、社会を育てるための基盤整備なのである。