これまで日本では、スキャンダルが発覚した時点で政治生命を絶たれる政治家が少なくなかった。しかし、行動力や決断力が高く、改革に踏み込む力を持つ政治家ほど、人との接触や露出が増え、結果としてスキャンダルに巻き込まれるリスクも高くなるという側面がある。一方で、目立たず、波風を立てず、前例をなぞるだけの政治家は問題も起こさないが、同時に改革も起こさない。

 

もし「スキャンダルに無縁な政治家」だけが残る議会になれば、そこには優等生的な思考とことなかれ主義が蔓延し、大胆な政治改革ができなくなる恐れがある。人格の完全さだけを過度に求める社会は、結果として政治の停滞を招きかねない。

 

今回の前橋市長選で市民が示した判断は、不倫という行為が不適切であることを前提としつつも、それを政治家としての能力や市政運営の実績とは切り離して評価する姿勢だったと言える。一回限りの私的な過ちだけで、これまでの実績や行政手腕をすべて否定し、政治家を葬り去るのは適切なのかという問いに、市民は「否」と答えたのである。

 

 

この当選は、不倫を容認した結果ではない。一度は辞職という形で責任を取り、説明と謝罪を行った上で、再び信任を問うた結果としての再選である。そこには、感情的な制裁ではなく、実績と能力を重視し、再起の機会を認める冷静な判断があった。

 

前橋市民は今回、政治を道徳裁判だけで終わらせるのではなく、結果と実務能力で評価するという成熟した選択をしたと言える。この選挙結果は、改革を担う政治家が一度の過ちで排除され尽くす社会でよいのかという問いを投げかけると同時に、政治を人間の営みとして現実的に捉え直す一つの事例となった。