学生時代の家族、兄のこと。 | 摂食障害克服、でも鬱になった。リワーク手記

摂食障害克服、でも鬱になった。リワーク手記

うつ病休職中です。復職に向け、リワークに通うことになりました。鬱になるまでの振り返りやリワークを行う過程、感想をつづりたいと思います。

自身の高校時代までの兄と家族のことを、私は他のことに比べてあまり覚えていません。目を背けていた部分が大きいと思います。いま自分が鬱病で頭が鈍っている部分もあり、恐縮ながら整理するために今回は箇条書きで書かせていただきます。

1.兄と私は3歳違いです。

2.(主に母から聞いた話ですが)兄は幼少期、外見の可愛さや愛嬌や賢さで親戚中から可愛がられていたそうです。その一方で、私が生まれる前は昼間は母と二人きりで相当厳しくされていたようです。その頃は父の帰りを心待ちにしていたと最近父から聞きました。また、私が生まれた時など、「赤ちゃん返り」と呼べるかわかりませんが、大きい方のお漏らし(汚い話で恐縮です)のようなことがあったり何か既におかしい行動があったと、母に聞きました。(育て方ではなく先天的なものだったと母は主張したかったのかもしれませんがわかりません。)

3.小学生の頃は、母は兄にも私にも厳しくしていましたが、兄の知性や感性が私のそれに優っていると心の中で思っていたようでした。もちろん私のこともすごく可愛がってくれました。私には、「あなたには努力できる才能があるから。」とよく言っていました。
しかし、兄が中学受験に挫折してしまった(塾に行かなくなってしまった)こと、そのあとの公立中学と私立高校時代も不登校気味(正直覚えていませんが)になり、シャワーを2時間浴びたり手を洗い続けたりという症状が出るようになりました。暴れることもあり、車に乗っている時にドアを蹴りつけて両親が修理に出していたことも覚えています。病院に行くほどではなかったですが暴力もありました。徐々に妄想のようなものも(人が庭から見ているとか)出るようになりました。早い段階から発病していたと思いますが、そんな兄を、母ははじめは叱っていたようです。まともな子であって欲しいとの思いや、母自身の混乱もあったのだと思います。父は、反抗期だろうと、あまり干渉しなかったようで、それが後々母の父に対する嫌悪感の大きな要因になったようです。

4.私と兄との学生時代の関係についてですが、小学生の時は、兄と喧嘩をしてぶたれる蹴られるもありました。手加減していたようで痛みは大したことありませんでしたが、私は屈辱感を感じ、また、徐々に兄の問題行動が増えていき家庭をめちゃくちゃにしているように見えたので兄を憎んでしまっていました。病気になっていく兄に対して言葉の暴力を吐いてしまったことも何度もあります。一度母の前で「お兄さんなんて交通事故とかで死んでくれたらいい」という発言をしてしまったことがあります、もちろんこれは許されない発言であり、母を究極に悲しませ混乱させたと思います。もちろん激しく叱責されました。ただ、その時に、「お兄ちゃんは根は優しいのよ、あなた(私)は性格が悪い」と言われたこともまた良く覚えています。母には「私(母)がお兄ちゃんを正しい道に戻そうと努力するたびに、あなたはお兄ちゃんを刺激したりバカにしたりして足を引っ張ろうとする。お兄ちゃんに何かあったら(犯罪を犯すなどの意味だと思います)あなたの人生も不幸になるのよ」ともよく言われました。もっともな意見です。それでも当時の私は兄の更生のために力を貸そうという気にはどうしてもなれませんでした。

5.兄の地頭の良さは、確かにありました。特に数学に関してはかなりのセンスがあったようです。大学受験は、勉強をすることもほとんどなく(受験勉強をできる状態ではなかったと思います)、願書を出したり合格発表を見に行ったりすることも主に父がやっていました。それでも、兄は一流と呼ばれる部類の大学の数学科に入学しました。しかし大学へはほとんど行かず、卒業までにはかなりの時間を要したようです。

6.母と兄は、厭世観というか(私にはよくわからないのですが)感性が似ていました。そして私の主観ですが自分の才能をうまく発揮できないことや幸せとは言えない家庭などへの鬱憤を、「世間の人(父や私も含め)は私たちのレベルの考えを理解できない」というような共通の気持ちで慰めあっていたようにも見えました。母はいつまでたってもまともな道に戻れない兄にイライラし時には大げんかをしていたようですが、ふたりはどこか通じ合っていました。これもあとから振り返ったことであり主観ですが、母は兄の自立を望む一方で、いつまでも自分を頼り、側にいてくれる兄を手放したくなかった気持ちも無意識にあったのではと考えています。私が大学に入り、服装や化粧が派手になったり帰りが遅くなったり恋人ができたこと(家族の外に幸せを求めるようになったこととも言えるかもしれません)で母に罵られるようになったことで、母の兄に対する気持ちを前述のように解釈するようになりました。このことは別の機会に書きたいと思います。


兄の学生時代のことは記憶も曖昧で整理できていないので、この辺にします。(…って十分ダラダラ書いてしまいましたが)

最後に一つ付け加えると、子供を立派に育てたいという母の願望は、兄から私に移りました。私の大学受験期の母の奮闘ぶりは別な機会に書きたいと思います。

次は、中高の私の学生生活を書きたいと思います。このころの記憶は良いものが多く、私の今の病気には大きくは影響していないと思うので、簡潔に書かせていただくつもりです。