脳幹梗塞からの復活 -4ページ目

脳幹梗塞からの復活

脳梗塞で入院、糖尿病が発覚!
復帰して、カロリー制限食に疑問を感じ
糖質制限食を実践

料理の話や日常の話
副業の花火の話も・・・

昨日は検診

いつものように採血

毎月のこととはいえ

あのチクとなる感覚

大嫌い!



私は暴飲暴食の糖尿2型

糖尿1型の方は毎日指に針を刺し

採血して血糖値を図ってらっしゃる

たいへんですね



私も入院の2カ月の間

毎食の30分前

ナースが指の先に針をさし

採血してました

いくら一瞬のこととはいえ

嫌でした・・・




指からあふれる血を

この機械の先につけます

数秒後血糖値が

表示される

指も先とはいえ

何回もさすので

腫れあがりはしないが

常に違和感を感じていました


血糖値200を超えたら

インスリンの注射が待ってました

当初 何回もおなかに----


1型の方はそれが日常ですものね

なんと言えばいいのか----



皆さん採血もインスリンも

自分自身でされてますが

私にはできません(きっぱり)


当初ナースが

今後自分でインスリンをうたなくなければ

と言われ

 


それがいやで 

食事制限にも耐えられたかも

最近毎朝ドーナツと無糖コーヒー





体重は維持

食事量が自分の感覚で増えた気がするが


先日 退院後の姿を知ってる人に


2年ぶりに会って

「痩せたね」と言われた


「仕事で身体動かしてるから」

の答えはあるが

何処か身体悪いんじゃないか

とちょっと心配した


検査の数値や

今日のA1cからして問題なし

と先生からお墨付き


安心しました


A1cは正常値の上限の6.5


普通に食べて 普通と言っても 


2年間の食事制限が身についたのか?

前と比べ少ない


糖尿の薬無しで


2カ月だけど変化なし


私の糖尿病は何処に行ったのだろう

アメ村に来ると聞いて

居てもたってもいられず

仕事が終わり即行で心斎橋




大勢の観衆


アメ村の若い衆へ

選挙へ行こう!

若い人の意見が政治に反映するべき!

デモは反対しないが

決してすべての民意を反映していない


反映させるのは

選挙!



吉村・松井・橋下 

が三人並びチェーントーク

と珍しい形で面白かった


松井親分

声が・・・・・


演説より

アメ村での観衆に興味があって来たが


3人のトークに聞きほれてました


演説が終わり

せっかく心斎橋に来たのだと

雀のつけめんに行ったが

18時からの営業と張り紙


17時前なので

あきらめて帰宅


3日前

歌島小学校の演説手伝い後

楽しみに行ったのに

西淀の本店休みで食いそびれ


今日で2回連続



画像で我慢・・・・・


今日は休みなので

純粋にギャラリーになりました


新大阪ニッセイビル前






昨日のニコニコの討論会

しつかりまとまり

良い番組でした


吉村さん圧勝

フニャギ本の出したパネルで

反論はよかった!


最後まで気を抜かず

がんばってください!


話は変わるが

はぐらかしのフニャギ本って

表情の無い鉄火面を

イメージした

仲間にいわせれば

あのタイプが

冷酷なことを平気でするようだ


クワバラ クワバラ・・・・・


淀川区のあと

時間差で西淀川


淀川坂井の選挙を戦った仲間2人と

西淀川で演説会の応援





最初に吉村さん

演説後

公開討論会に向われた


入れ替わるように橋下さん




最後は親分松井

会場責任者がなぜか

松井さんの会場入りの誘導を指名

ちょっと緊張

よく言えば

いいオーラが出てた

悪く言えば

暇そうにしてた




誘導の後

会場に入り

しっかり親分の演説聴きました



幸楽鍋の展開について

ブライダルの仕事をしてた時

お世話になった美女達に

モニターになっていたただきました




とても評判よかったです

今後の展開の参考にさせてもらいます


幸楽鍋を食べたい方はご一報を

FBにコメントいただければ

準備します!






作業療法のイラストを探していて

これを見つけました

多分、皆さんのイメージとは違うと思います

でも、経験者はピンときます


脳梗塞発症後、

何日間か忘れたが、

おかゆが普通のご飯になるまで、

ナースが食事の介助。



平たく言えば食べさせてくれました。

これは 食べるペースが合わず、

とてもいやでした。

自分で自分のペースで食べたい。

利き手が麻痺してたので、

左手でスプーンを使い食事。

介助から卒業したものの、

使い慣れてない左手で苦労しました。



不思議ですが、

麻痺してない手も握力落ちてました。

左手でもペットボトルがあけられないのには

情けなさを感じた。


地獄の作業療法で箸を何とかささえるようになり、

時間はかかるものの

自分で普通に食事できる喜びを感じたのでした。



理学や言語のリハビリは楽しかったけど、

手が動くようになるまで、

作業療法は本当に地獄でした。

これについてはよくがんばったと

自分をほめてやりたい。


作業療法士の先生、おにいちゃんは

わざと「こんちきしょう!」と思わせ、

つらい作業のモチベーションを与えてくれた。



退院後、にいちゃんとお話した時、

そう言ってました。


また、看護学校の研修生の応援が

張り合いになった。


全体的に運が良かったです。



今、よどがわ花火の委員会からは卒業している。

(喧嘩別れ的な卒業なので、いまだに会話も交わさない人もいるけど、

多くの方には普通に接することができる。それ以前に代替わりしてるけど・・・)

バリバリの現役当時

自民党の府議を熱烈に応援していた。

選挙本部の参謀で、立会い演説会の設営・進行が私の役割。

その当時の経験が坂井さんの選挙で活かせたのだと思ってる、

(結果は出なかったが・・・)


たまたま花火卒業と同じく十三から離れたので

物理的に花火委員会とその府会議員と係わらなくなった

ちょうど私が十三を離れた頃に

橋下徹が出現し、その府議も揺れ動いてていたそうです。

その議員さんが決断すれば、

維新のスタートメンバーになっていたかもしれません。

その議員さんは病気でその時引退されました。

この話、当時の後援会幹部から十三に戻ってから聞きました。

その議員さん、最終病気で亡くなりになりましたが、

元気ならきっと維新に行っていたはずです。

人に言わせれば、あの時病気でなかったら、

今頃知事やったのにと・・・

市長の出直し選のときでした

花火委員会は卒業したとはいえ、自民支持の私は、

その頃の疑問を柳本や中山に問いかけてました。

しかし、納得がいく答えをもらえず

(柳本にははぐらかされ、中山にはピンとはずれな答えをされ)、

仕方なく横山府議になぐりこみ、いやいや質問に直接行きました。

理路整然の答えに納得し、スッとしたのです。

それ以来の維新支持です。

最近思うこととは

もし、あの時卒業せず、少なからず花火に絡んでいたら

私は今の花火の委員会と同様、大阪自民を応援していたのか?

大阪自民の候補は、選挙関係なく、花火委員会の一委員として、

仲間として花火大会運営に係わっていた。

だから政治的信条とか関係なく、仲間が選挙にでるというのに、

単純に応援していたのでは?

そう考えると、大阪自民の支援者が単にシロアリさんだけでなく

議員が地域のコミュニティーに深く入り込み、

仲間意識を植えつけた結果ではないかと思ったりするのです。

これって大事なことで、維新の議員は

これを着実に進め

地域コミュニティでの「仲間」までの意識付けは絶対必要

寒くなると

銭湯に行く機会が増えます

電気風呂に はまってます


さて病院での話

当初排尿の時はナースコールをして

車椅子を押してもらい

看護師さんに お世話になった


片手片足は動くので

排尿介助は必要ない(笑)


夜間は尿瓶ですませたが

排尿し終わればナースコール


看護師さんに気を使った


そんな状態なので

世話されて当然とは

割り切れなかった


そんな状態は

車椅子を卒業

歩行器に変わるまで

続いた




歩行器に変わった頃

病室が変わり

トイレの近所になったが

そのトイレは使わず

遠い方のトイレまで

わざわざ歩いて行ったのを思い出した


そうそう

暇さえあれば

廊下を歩く練習をしてましたっけ


「早く自分でトイレに行きたい」

そんな思いが

復活を早めたのかも







マサおじさんのFBの記事を読んでいて

直接記事とはつながらないけど

入院当時のことを思い出した(^-^)/

お風呂のこと

入浴ではなくシャワー浴でしたが

当初

車椅子での移動しかできなかったので

車椅子を満足に動かせず

(おしてもらってましたが)

看護師さんの介助でシャワーを浴びるのだけど

これが非常に恥ずかしかった

若いきれいな看護師さんに

私の全裸を見られるわけですから・・・

歩行器で移動できたときは

看護師さんの見守りに昇格

介助よりましやけど

見守られるのも

恥ずかしい

転院して

しばらくし

歩行器もはずれ

見守りも卒業した

自由に入れた!

うれしかった

夕食前にシャワー

すっきりして夕食を食べたものです

自分で入りたいと強く思うことが

復活へ拍車をかけたのかも