母が認知症になって数年後のことである。

私と妹の妙子が父に呼び出されて両親のマンションに行った。

 

二郎「お母さんも認知症になって、わしの世話も行き届かんからの。お母さんを施設に入れてあげようかと思うんじゃ。お母さんもわしが世話をするより、施設の専門家が世話をする方が幸せじゃと思うんじゃ。」

清巳・妙子「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

二郎「ほんでの、わしも仕事をしよるけど、わしの働きだけでは施設のお金が賄えんのじゃ。ほじゃけんの、清巳と妙子に援助してほしいんじゃ。」

清巳「どういうこと、お母さんを施設に入れるのに僕らにお金の援助をせいということ?」

二郎「そうじゃ、わしもそのためにと働いとるけど、それだけでは足りんのじゃが。施設の方が世話も行き届いてお母さんもその方が幸せじゃとお前も思わんか?お母さんの幸せのために二人で協力してくれんか?」

清巳「ところで、仕事って何の仕事をしよるん?」

二郎「ほじゃけんの、わしの仕事だけでは足りんのじゃ。」

清巳「そんなことを聞きよんじゃないよ。何の仕事をしよるんかと聞きよんよ。しとる風にないから。」

二郎「いや、しよるんじゃが。」

清巳「だから何を?」

二郎は言わない。

何も仕事をしていないか、もし何かしていたとしても大方また株あたりだろうとは思うが。

 

ああ、いつもの善人面やな。断るとこっちが悪人になるような言い方やな。

しかも自分の都合の悪いことは言わない。

いつものやつや。

 

オイルショックの時に友人と共同経営してた会社が倒産して、しばらく母の働きで生活していた時もあった。

そのごろから浮気三昧。

母が長年看護師として働いた退職金を、二郎は自分名義の借金だけを返すのに使った。

それで銀行の信用を得て借り直したお金を軍資金にして、株の信用取引をして全てを(失ったお金はそれ以上ではあるが)失ってしまった。

母には夫婦といえども返し切れない恩義と責任があるはず。

母の認知症の原因も、度重なる浮気や退職金をすべて失ったというショックも大きかったと思う。

私としては、二郎が母の良美の面倒を見ることは当然だと思っている。

母の幸せのためなどと善人みたいなことを言っているが、要はただしたくないだけ。

 

清巳「ええ方法があるよ。」

二郎「ほう、何ぞ。」

清巳「お母さんの恩給を全部使ったら入れる施設はたくさんあると思うよ。」

二郎「・・・・・・・・・・・・・」

 

母の恩給を全部使うということは、今住んでいるマンションの支払いが出来ない。

母の幸せのためと強調するが、そこまでの覚悟があって母のためにしようというわけではない。

母の恩給は自分が自由に使い、この大きな間取りのマンションで生活し、子供の金で厄介払いをする。

もしかしたら、そのあとに知らない女がこのマンションに居るようになるかもしれない。

 

自分が何の仕事をしているかも言わない。

その仕事でいくらの収入があるかも言わない。

それで、自分が母のために働いているがお金が足りないから援助しろ。

相変わらずだ。

 

 

 

 

母は共依存

誰に依存しているかというと、それは父の二郎である。

これは間違いない。

子供のころ、父に逆らう私に対して

「あんたは負けて勝つということを知らん」

とよく言われたものだ。

当時はこの言葉に何か高尚な意味があるのかもしれないと思っていた。

また、父の言動や行動に対して

「お父さんの言うことはおかしい。ほかの家の人は違うように言うよ。」

などと私が言うと

「家の中ではお父さんの言うことが一番正しいんよ。」と返ってくる。

子供の頃はおかしいと思いながら、あるいは反発心を持ちながらも

父二郎の自分勝手な理屈と、母による「私の方がおかしい。お父さんが正しい。」という言葉に屈するしかなかった。

文句を言っても、「あんたはお父さんが働いているから生きていけとんよ。」の最終兵器が飛んでくる。

生殺与奪権をちらつかせるわけだ。

 

しかし私も社会に出ると、母の「私の方がおかしい。」は、もはや通用しない。

物の善悪や常識は、家庭という小さな枠の中ではなく、社会全体に横たわっているわけだから、

父母が私に押し付ける常識と、社会全体の常識とが合わなくなるわけである。

しかも、子供の時と違って、自分の生活や生命は自分で支えることが出来る。

だから、間違えていることは「間違えている」とはっきり言うことが出来るようになった。

 

二郎の自分の勝手な都合を私が断ると、まるで私が極悪人であるかのような口ぶりで(当然自分は善人に正当化するが)罪悪感をあおってきたり、時にはそうすることで何かわたしに得があるかのような言い回しで釣りに来たりもするが、手口は散々やられて分かっているのでそれに惑わされることもなくなった。

私が自分の思い通りにならないと、二郎はまず不機嫌な顔で威嚇をする。たまに怒鳴る。

しかし私もそれに挫けなくなった。そうすると二郎はしまいにふてくされる。

 

だが、母の良美は二郎よりさらに分からず屋であった。

というか、物事の道理や善悪など良美には関係ないらしい。

道理の通らない二郎の要求に対して、無条件に受け入れることを私に要求する。

また、その二郎の勝手わがままを、私清巳のことを考えて言っていると言い切るのである。

しかも、私にもそう思えと。

勿論私は応じない。

そういうことが何度も続いた。

 

母の良美はおそらく依存性人格障害だと思う。

二郎の勝手わがままを自分が受け入れることで、二郎に庇護してもらう。

これが良美の安全地帯。

それを守るために私にも自分と同じ態度で二郎に接しろということだ。

それをしなくなった私は、良美の安全地帯を脅かすだけの存在になってしまったようだ。

母の言うことを聞かない今の私は、母良美の中で自分の息子では無くなった。

私を見て清巳だと分からない母に、妹の妙子が

「清さんよ。」と言うと、母はこう言うようになった。

「清巳はもっと若い。この人は清巳よりずっとお兄さんじゃないの。」

母にとって息子の清巳は、二郎に逆らえない昔の子供の清巳であるようだった。

だから、今の私の顔を見ても、息子の清巳だと分からなくなった。というか、認めなくなった。

人の子として悲しいことだが、

私が私として、一人の独立した魂を持った一人の人間として生きていくためには、この道しか無かった。

矢内電気の事務所がまだ売られていないときだったから、私が30代だったろうか。

矢内電気の事務所の電話が鳴った。

とったのは父の二郎。しばらく頷きながら聞いていたが、

「うちはそのようなことは致しませんので・・・失礼します。」

丁寧な電話対応だなと思ったが、受話器を置いたその瞬間

「おどれーバカにしやがってー」

と私の方を向いて怒鳴っている。

はっ、何だろうと父の二郎に

清巳「なんの電話やったん?」

二郎「金相場をやらんかという話やった。バカにしやがって・・・・」

清巳「そう思うんなら電話の相手に言うたらよかろ。そっちには丁寧な応対しておいて、こっち向いて怒らんといてや。」

そう言うとかえって逆上して

「お前に怒っとんじゃなかろうがー」

とやはり私に向かって怒鳴ってくる。目を血走らせて憤怒の表情。

 

子供のころはこういう状況が怖かった。

その頃も三つ子の魂百までの喩えの通り、まったく平気ではなかったが、

今は私も大人だし、武道の有段者。

父が殴ってくることもないだろうし、殴ってきても大丈夫と少しは余裕があった。

清巳「そうやって『お前に言よんじゃなかろがー』とこっち向いて怒鳴りよるじゃない。」

 

それから数日後だったと思う。何のきっかけだったかは忘れてしまったが、

 

清巳「子供の頃もそうやって八つ当たりしよったよね。家に帰ってきたとき不機嫌な顔をしとるときは大抵『最近のテストを持ってこい』、そして『99点が最低の点じゃ』だとか、『100点じゃなくても生きとれる小学生はええのう。』とか・・・・・・『作文見せい』という時は、作文の先生の赤字の添削を見つけては『こんな文章を書きよるようでは世の中では通用せん』とかよう言よったけど、あれは仕事かなんかで気に入らんことがあって家に帰って僕に八つ当たりしよったんやろ。」

二郎「八つ当たりなんかじゃないが。お前のために叱ってやっとったんじゃが。怒っとったんじゃない、叱っとったんじゃ。」

清巳「子供のために叱るのに、なんで目を血走らせて言わんといかんの?殴られそうな雰囲気もあったし、実際殴ったこともあったよ。」

二郎「子供の将来のために殴ってやらんといかんこともある。」

 

などなど問答が続いた。

 

清巳「この間の金相場の電話の時もそうやったやろ。未だに言うべき相手に言わんと、僕に向かって感情爆発さしとるやないの。ああいうのを八つ当たりと言うんよ。お前のために叱ってやったみたいな正当化は、大人になった僕には通用せんよ。」

 

しばらく考えていた二郎が

「おう、ほうよ、昔、八つ当たりしよったんよ。」

 

ああ、やっと認めた。

もしかしたら昔は八つ当たりして悪かったと謝ってくれるかなと一瞬期待した。

が、甘かった。

 

二郎「で、それがどうかしたんか?」

 

認めたには認めたが・・・・開き直ったか・・・