いよいよ帝国劇場も建て直す。時代だなあとつくずく思う。
舞台生活一生の3分のニくらいは帝国劇場の舞台に出演していた。舞台俳優としては幸わせかもしれない。
長い長い舞台生活、劇団,東宝現代劇。昭和32年一期生として東宝演劇部所属として、過ごして来ましたが東宝に入って三年ばかりは、さぼってばかりいました。
だから当然役なんかなかなか付きません。当然台詞なしの役が付きます。そんなことを続けて行くうちに、これではいかんとすっかり自分を変えまして、台詞無しの役を膨らませる事を考えました。
つまり台本に無い芝居や台詞をそれとなく考えて、巧妙に役を膨らませてしまうのです。
でももしそれが間違っていたら、大変なクビものです。
だいたい作家演出家の先生は台本のてにおはが違っても嫌がります。
それを役を膨らませるんだと、ちょい役を、役にしてしまうんです。
それは原則としてその役の本質は間違わ無い、本質を理解して役を膨らませるのです。
まずそのはじめは菊田一夫先生の「墨東奇談」芸術座公演でした。舞台稽古で先生の前でクビを覚悟で演じました。
それが的を得て菊田一夫先生は椅子から転げ落ちる程に爆笑して賞まで頂きました。勿論初日からお客さんからは連日怒涛天をつく笑いを頂きました。
どんなガヤみたいな役も捨てないで必ず膨らませて演じてました。小幡欣治先生もその後どんなに役を膨らませてくるかが楽しみだよと仰有ってくれました。
榎本滋民先生はとにかく、てにおはを違えても厳しいのに「雄呂血」宝塚劇場公演ではその芝居の膨らませに優しかったです。
「王将」宝塚劇場の作演出家の北條秀司先生はニコニコ笑いながら一寸サービスすぎる役の膨らませ方だよとセーブさせてくれました。
北條秀司先生はたまたま出演していた南利明さんが先生の前でとても緊張されていて、まあそのくらい恐いと評判の巨匠でした。
ともかく私の役のつかない三年間の苦労は沢山ありました。
明治座の東宝公演「青い山脈」で小使いさんの役で、たった一人で教員室下手から上手に歩くだけの台詞無しの芝居でした。今は何を演じたか忘れたが中野実先生はめちゃくちゃ気にいって下さいました。
あれだけの事でお客様はめちゃくちゃに笑って下さいました。
この役を膨らませると言うことは1つ間違ったらクビです。つまり台本に無い事を勝手にやれないんです。
私の場合はその当時役がつかない不遇でした。その芝居の役の正しい素性を正しくつかまえて演じる事が第一です。
その頃はそれほど役と不遇に苦労して闘っていたんですね。
どんな役もどんな少ない台詞でも大切に膨らませる事です。
つまり生きている事です。
その後は覚えるのが大変なくらいの台詞、とか役が来るようになりました。
役がつかないから、役を膨らませて役にしてしまうこれが私の第一歩でした。
東宝の打ち上げパーティーのパロディのコントも40作も書いたのもこの勢いですかね。