このところ同時代に共演させて頂いた役者さんが、相次いでお亡くなりになり寂しい思いです。

 どういう訳かお二人とも静かなおとなしい真面目な方々でした。

 昭和41年12月の宝塚劇場における「クレジーの大忠臣蔵」と44年12月の矢張り宝塚劇場「クレジー幕末ゲバゲバ風雲録」二本共アチャラカに近い喜劇でした。

 園まり、重山規子。宮城まり子が共演で、「大忠臣蔵」は草笛光子。重山規子。野川由美子。恵とも子が共演でした。

 クレイジーのメンバーはとっても気楽で我々劇団•東宝現代劇のメンバーと馴染んでいました。皆さん気楽でよく見れば楽しい連中でした。

 ある時私はトチリそうになって、植木等さんを蹴飛ばしで舞台に出た事ガ有りました。植木等さんは謝りに行ったら笑って優しく受け留めてくれました。兎に角楽しい2ヶ月でした。

 財津一郎さんも生真面目な方でした。東宝現代劇「女の遺産」小幡欣治。作演出は昭和52年11月12月日比谷芸術座を始めとして昭和56年2月大阪毎日ホール、名古屋名鉄ホール昭和59年5月名古屋名鉄ホール。昭和63年10月京都南座公演と再演が続きました。

 お客様は殆ど満員でまあよく笑って下さいました。

 この時の財津一郎さん芝居は真面目に実直に演じてました。我々劇団東宝現代劇の 連中には一目置いてから誠実に対応してくれました。

 劇団東宝現代劇と云えば脇役と思われても芝居の上手さでは演劇界には定評が有りました。

 1幕の1場2場3場は、1番番頭2番番頭の私と横澤祐一君とのやり取りが中心でした。人柄の良い番頭の私、企みのある番頭の横澤祐一君誠実で真面目な3番番頭の財津一郎さん。

 結局草笛光子さんのお婿さんには、財津一郎さんが選ばれ店主となるのです。

 私は大番頭になります。

 然しどういう訳か財津一郎さんは関西の役者さんには、厳しかったです。

 然し彼の芝居に対する執念は素晴らしかったです。

 他の山田五十鈴さんとの芝居もいい演技をしてました。

 私の芝居の人生にお二人ともに良い影響を受けさせて頂きました。