菊田一夫先生の名作「がめつい奴」1カ年も日比谷芸術座でロングラン、そうして地方での再公演、再公演、再々公演が続くあと東京日比谷芸術座にて「続がめつい奴•お鹿婆さん東京へ行く」が昭和36年6月15日初日8月30日千秋楽。が公演された。

  「がめつい奴」は社会的な流行語にもなっていて、この題名だけでも、お客さんがくる勢いだった。

「がめつい奴」1カ年ロングランの間でも、週刊誌に恋愛劇団なんて公演内での何件もの恋愛が取り上げられたり私なんかががめつい奴温泉旅行でダンスホールなどでダンスをしている写真迄載せられて、笑ってしまった。

 そのがめつい奴続篇「お鹿婆さん東京に行く」は作品的には一作目よりは落ちるかもしれないが、それなりの面白さもあつて、芸術座のお客様には喜んでいただいた。

 「がめつい奴」の頃は私もアルバイトに明け暮れて舞台に不熱心であったせいで、たいした役もつかず、くさった時代だったが、続がめつい奴には面白い役に恵まれた。

 食えないなかにも芝居に欲が出て来て、ノイローゼと貧乏と闘いつつ、やる気になっていた。

 そのやる気になった時には、どんな役
通行役、しだし役、台詞のない役でも、その役を作品のすじを違えないように、自分なりにふくらまして演ずるようにした。

 今までちょい役とかが多かったから、台詞が無くても、邪魔にならない様に、つまり役をふくらまして演ずるようになった。例えば通行役でもそこに邪魔にならない芝居をする様にした。

 作家、演出家はご自分の書かれた台本に勝手にそんな事すれば怒るから、ちゃんと、筋の通っている芝居づくりをした。

 そんな事したら、例えば「墨東綺譚」舞台稽古中に菊田一夫先生が見ている前でそこを通ってと指図され、その通行役を勝手に台詞を6つばかり作ってとっさに演じてしまったたら的を得てなかったら完全に怒りをかってクビである。かってない冒険である。

 こっちもそれを覚悟でやってしまった。

 しかし菊田一夫先生はその芝居をみて椅子から転がり落ちるほど大笑いをして喜んでくださった。

 それはその時に側で見ていた森光子さん浜木綿子さんが後で「こばちゃん菊田一夫先生が椅子から転がり落ちるほど大笑いして喜んでいた」と教えてくれた。

 もし私のしかけた芝居が間違っていたらそくクビになるところだった。

 毎日、毎日その場は怒涛の如く笑いがきた。

 だから私のはじめの頃は役に恵まれなかった分台詞のない役でも、役にしてしまってそれをやりとうした。

 不思議なもんでそうなるとギャラが上がり始める。だから人間ってやる気をださなくては駄目!

 続篇がめつい奴は拾い屋の六さんという通し役がついた。兎に角何でも拾って来てしまう、汚れ役である。色々と工夫してリアルに面白くした。

 この芝居の出演者は三益愛子さん、浜木綿子さん、エノケンさん、林家正蔵さん南利明さん林与一さん、長谷川季子さん、雪代敬子さん、井上孝雄さん、小鹿番さん、のメンバーでした。

 林家正蔵さんは、この公演だったか高座ではやらない、めかばなしと言って一寸エロ話を楽屋の小部屋に我々5人ばかり呼んでお話ししてくれた。

 正蔵師匠の語りは目茶苦茶面白かった。

 がめつい奴の輩の住まいは電車の沿線にあって電車通るたんびたんびに大揺れする、その時の住人の前後左右に動く様が、見ているお客さんもつられていて、演じている役者にも各人各様で面白かった。

 この公演は2ヶ月半の公演だった。

 芸術座のお客様はご婦人方が多かったこんなにお客様に好きになられて愛された劇場もめずらしいくらいだった。
 そこで劇団•東宝現代劇はいい仕事をしたんだと思い出してます。