平岩弓枝先生がお亡くなりになった。

 今まで舞台においての恩人の方々は沢山おられた。

 まずは菊田一夫先生。小幡欣治先生。中野実先生。花登筺先生。中村芝鶴先生。榎本滋民先生。北條秀司先生。逢坂勉先生。蜷川幸雄先生とあちこちから口がかかりみっつ位仕事が重なったりそんな時代もあった東宝演劇部だった。

 劇団•東宝現代劇一期生として入った私は約3年間貧乏がわざわいして、アルバイトにあけくれ、かまけて、ふぐうを託つけていた。

  ある月のある日せきをきったように何か目覚め「墨東綺譚」芸術座の公演で菊田一夫先生から直に演技賞を頂き、それから運が開き始めた。

 そうして、平岩弓枝先生にそうぐうしたのである。私の場合は一人の演出家とかスターさんと仕事が続きだすとだいたい十作品くらいは続く。

 17代目中村勘三郎先生も林与一さん、十朱幸代さん山本陽子さん。美空ひばりさん。小幡欣治先生の方々と。 

 

 
 平岩弓枝先生と初めてお仕事したのはテレビだった。東芝日劇劇場「女と足袋」脚本平岩弓枝。演出橋本信也。清水将夫。三益愛子。池内淳子。山岡久乃で私は、銀座の足袋屋の店員の役で、勿論台詞も結構あって、再放送5回もあって、作品の評判も良かったみたい。VTR終了後、帰りのタクシーの送りが、平岩弓枝先生と同じ方向なのが一緒で、結構喋ってた。
 
 プロデューサーが石井ふく子さんだった。
 それから暫く、昭和49年1月2月にここで平岩弓枝先生に再会したのである。10年ぶりである。
 この作品である。
 日比谷芸術座「喜和」原作宮尾登美子先生「櫂」より。

 平岩先生は当然私の事は忘れているのに、東宝現代劇団員も初めてなのに、それぞれの役名を、我々一人ずつ直感で名指して亀さんは小林さん!と名指して呼び、その直感力は凄いと思った。

 その名指したのが亀さん!だったのだ。
しかも宮尾登美子先生もすっかりその亀さんを気にいって下さって、ご指名で他の作品えのご推薦がよくあった。

 舞台稽古が終えた日に沢村貞子さんが隣に座って来て「小林さん平岩先生がね、小林さんはどんな役でも出来る人ですね、と仰ってましたよと」わざわざ私のところに知らせに来てくださったのた。

 そうして、菊を演じる渡辺陽子さんと亀を演じる私に演技賞を平岩弓枝先生が下さった。
 
 しかも本当に平岩弓枝先生は、先生が脚本、演出した作品、帝国劇場、宝塚劇場、芸術座。御園座。の作品二十作品に、2枚目。シリアスな役、悪役。老け役。三枚目。と殆んどの役を演じさせて下さった。
 平岩弓枝先生は舞台稽古終了時に仰言ったこと、どんな役でもこなせる!をしっかりと覚えていらして、実行されていたのだ… 
 平岩弓枝先生本当に有り難うございます。

 私もそれに心して応えました。

 
 
 渡辺陽子と私をプログラム上で推薦する平岩先生
 プログラムの挿し絵に描かれる
   
 左から、平岩弓枝先生、片山洋右、私




 
 左から乙羽信子、松原智恵子、私、井上順


 
 「鍵」左から田村亮、片山洋右、和泉雅子、新珠三千代、一の宮あつ子とわたしの石村弁護士
 
 「台所太平記」の帝国劇場におけるカーテンコール、中央は17代目中村勘三郎先生、その左に新珠三千代1人越えて私。
 
 10日でダンス、歌、芝居を仕上げた「とりかえばやものがたり」帝国劇場
 「鍵」日比谷芸術座

 平岩弓枝先生 ご冥福をお祈りします。本当に有り難うございました。先生のおかげで私の演劇生活は本当に素晴らしいものになりました。