漫画同人誌を作った頃の私の作品
トキワ荘の住人で世話人で漫画家で漫画少年投稿者の選出者でもあった、寺田ヒロオさんからの同窓会の名簿が郵送された。

 最近丸の内東映で、島崎藤村原作の「破戒」を見てきました。香しき文學の匂いがして、オーソドックスな軽くもなく、重くもなく、爽やかな気持ちで映画館を出られました。

 被差別部落問題がテーマなんだけど前に希望が見えるそんな気持ちにさせてくれました。

 間宮祥太朗演ずる瀬川丑松、同僚教師を演ずる矢本悠馬、ともに良い芝居してました。一見地味だけどお客さんはよくわかっててロングランしてます。

 それはさておいて椎名町のトキワ荘に久し振りに行きたくなりました。

 昔の話しですが、椎名町にガールフレンドがいましてよく訪れでいました。その頃沢山の漫画家がトキワ荘で漫画を描いてました。

 手塚治虫さんは既に素晴らしい作品を描いてましたが、寺田ヒロオさん、石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さんたちはトキワ荘で、沢山の漫画を発表してました。

 その頃「漫画少年」という人気のある漫画雑誌がありまして以前からトキワ荘住人の漫画家達も、その雑誌の投稿者から始まっているのです。

 私も「漫画少年」に投稿しました。当時は「野球少年」という雑誌も有りましたが、私は「漫画少年」をむさぶるようによんでました。1ページ1ページをめくるのが大切にじっくりと味わう様に楽しんでました。

 私も投稿者の一人でした。一回だけ投稿したのが(よく書けた漫画)に選出されて「漫画少年」に名前だけ掲載された事が有りました。

 私の友達のお兄さんに紙芝居を描いている人がいて、その人は一つ上のクラスに選ばれてました。上には上がいるもんです。

 少年の頃、すごい人見知りで幼稚園も一人では行けなかった私でしたが、中学生終わりの頃から何故かとても積極的になって、漫画の同人誌をつくり映画研究会をつくり全国的に会員をつのり同人誌を発行したり、早稲田実業高校では文学部で部活動をしたり、同窓会の会長を依頼されたり、やることが沢山ありました。

 何時も人の後ろから、うかがってばかりいた私が急変したのです。

 以前寺田ヒロオさんからお手紙頂き、「漫画少年」"同窓会というか投稿者会の名簿を送ってくれました。

 名前を見ると凄い人達がいました。
 
 横尾忠則。赤塚不二夫。石ノ森章太郎。井上一雄。楳図かずお。つげ義春。篠山紀信。寺田ヒロオ。藤子不二雄。小林誠その他で役者は私一人でした。

 思ってみれば色んなところに首突っ込んで面白く生きてましたね。