パンフレット左側は昭和56年6月、宝塚劇場公演と右側は、昭和58年9月名古屋御園座再演の時の「歌行燈」。
本当にあまりに急なので驚きました。先日テレビを拝見4月に舞台に出ると元気な姿を拝見したばかりなのに。青天の霹靂だった。

山本陽子ちゃんとは、東宝の帝国劇場、宝塚劇場、芸術座、名古屋御園座、中日劇場と彼女主演の舞台に出演させて頂いている。又「おはん」では久留米、長崎、福岡、熊本と旅公演もご一緒させて頂いた。

何時も気さくで明るく楽しいお人柄だった。私なんかが名古屋公演にでむいてる時にも陽子ちゃんが名古屋に用事があって入らした時は必ず食事に誘ってくれました。

明るくてよく大声で笑ってました。

さっぱりした性格で麻雀が好きで、よく徹夜麻雀をしました。宇野千代先生とか東宝現代劇仲間と本当によく麻雀をしました。陽子ちゃんの麻雀はかなり強かったです。お芝居もとてもやりやすかったです。



  
 稽古に通った時のお能の本


 この「歌行燈」のお芝居もお客さんはよく入った。だから再演をする事になりました。

出演は初演は山本陽子。田村亮。市村羽左衛門。乙羽信子。池波志乃。金田龍之介。一の宮あつ子。市川門之助。立原博。門田みえ子。劇団•東宝現代劇。

 再演の御園座出演は新しく変わって宮園純子。淀かおる。辰巳柳太郎

 とにかく平岩弓枝先生は多忙を極めていて台本の出来は遅かった。芝居の稽古が始まる前に青山だったか能楽堂の稽古場に1ヶ月以上お能の勉強に通いました。

 まだ寒さが残っていて稽古場の隙間から風が入ってきて稽古の厳しさが本当に身に沁みた。

 観世栄夫先生のもとで、山本陽子さん田村亮さん立原博さんと私が約1ヶ月以上お能の稽古に通ったんです。

 観世栄夫先生の教えはかなり厳しかった。それに耐えてしっかりお能をマスターしました。寒い冬隙間風が入る稽古場、山本陽子ちゃん、田村亮ちゃん立原博さん四人よく耐えました。

 当時私は、別に常磐津勘五郎先生に常磐津をならってました。

 日本舞踊も藤間藤太郎師匠に習っていたが、観世栄夫先生の厳しさはかなりのものだった。

 山本陽子ちゃんは然し毅然と稽古をまっとうしていた。

  勿論舞台はよかった。

 ところが台本が出来てきて、私の役が出て来ない。
新しく書かれた役は桑名の焼き蛤ぐりやの繁造が出てきた。それが私の役だった。

 平岩弓枝先生がコバちゃん違う役になってしまったけど、お能を勉強出来ただけでも良かったでしょうとすまなそうにおっしゃった。

 本当にお能の役は出て来なかったが、一流の観世栄夫先生に教わったことは素晴らしい事だった。

 今でも思い出すのはあの隙間から風がはいってくる能楽の稽古場の寒さである。それに耐えた陽子ちゃんの強さである。

 然しまたまた打ち上げパーティーにはパロディーの台本を書いて演出して大笑いした六本木の会場がそれ等を跳ね除ける。

 市村羽左衛門さんが「小林さんパロディー面白かつたですよ」仰って下さったのがうれしかった。

陽子ちゃんはパロディを見てよく笑って、笑い転げてました。

いまだに思い出すのは帝国劇場の「生きて行く私」の公演の時です。宇野千代さんを演ずる山本陽子ちゃん、悪質なスポンサーになろうとする役の私。
出番寸前に突然「コバちゃん腕相撲しようか」と言い出したのです。

勿論その短い時間にやりました。かなり強かったです。突然そんなこと事言う陽子ちゃんって面白い人でした。

ご冥福を祈ります。