昭和34年1959年1月1日~2月10日楽日。「大和撫子」日比谷、芸術座公演
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上左は 表泰子。右は関口悦郎(清川虹子さんの息子さん)左下は子役熱海サチ子と右は香山光子
 上右から渡辺 篤。若水ヤエ子。浅茅しのぶ。森川信。下右から、花柳喜章。藤波洸子。峯京子。野村浩三
 菊田一夫先生が劇団•東宝現代劇の事を書く
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 古い古い骨董品みたいに懐かしのパンフレットが出てきました。

 初日をむかえて楽屋え全劇団員を集めた菊田一夫先生「これは喜劇なんだよ、ちっとも面白くないじゃないか」とお説教。みんな小さくなっている中で内山恵司ひとり、はいと威勢のいい返事。と、菊田一夫先生、「ばかっお前が一番だめなんだよ」と。

 思い出すは、関口悦郎さんギターを持って熱海サチ子に向ってギターを弾きながら「オディガ•デロ•ノネガムラター、オスペタリアノー」と唄う、何故かいまだにその歌が忘られない。「はい!京子ちゃーん」と熱海サチ子に呼びかける関口さん。

 清川虹子さんの息子関口悦郎さんは早くお亡くなりになった。

 舞台のある日、主役の清川虹子さんは杖を使って芝居をしているのだが、突然舞台の中央で、杖が動かなくなった、丁度杖をさした所に小さな穴が空いてて、そこに杖が見事にはまってしまったのである。

 お客さんは気がついたらしい。上手いこと清川さん芝居して、誤魔化したが、舞台は何が起こるかわからない。

 私は黒人の役で、露出している肌は黒く塗るのが大変だった。

 こんな小さな苦労の積み重ねが役者としてやくにたっていた。後に帝劇の「風と共に去りぬ」公演で黒人の役がきた。待ってましただった。