右は中村勘三郎先生で左が雑誌記者の私
台所太平記の左は私で、右は恋人役の緋多惠子さん
帝劇なカーテンコール中央勘三郎先生左に3人目が私
十八代目中村勘三郎さんと共演させて頂いた。明治一代女で通し役 車夫平六

 いま歌舞伎座で十七代目中村勘三郎の三十三回忌追善公演をやってます。

 不思議と松竹の歌舞伎の中村勘三郎先生とはご縁が有りました。しかも十八代目勘三郎さん、波乃久里子さんともお母様とも縁があったんです。

 まだ久里子さんが十代のころ、林与一さんに紹介され、お母さんや皆で湘南の海で楽しく遊びました。

 久里子さんはその頃はうぶでお嬢様という感じでした。

 そうして与一さんとよくお宅におじゃまさせて頂き、食事などもご馳走になりました。十七代目勘三郎先生はまったく気性が江戸っ子というか一本気で曲がった事が嫌いという感じでした。ある日お母さんや久里子さんや与一さんと食事をご馳走になっている時、いきなり表からおおいに怒った先生が帰って来ました。

 何かタクシーの運ちゃんが曲がった事をして勘三郎先生を怒らしたらしいんです。普段の先生はやさしくて、楽しい方でしたが。

 又ある時は銀座の有名な珈琲店のマスターが、先生が、珈琲に砂糖を入れたその時飲み方が間違っていると先生を知らないのか、お説教をしたらしいのです。
先生は怒りました。そうして暫くその店には行かなかったのですが。名優と老舗珈琲店のマスター、どこかでひきあうものがあったのか、その珈琲店に通うようになったそうです。

 然しその後暫くしてから、勘三郎先生は東宝の舞台に続けて出演される様になりました。

 縁があったのか8本も勘三郎先生と共演させて頂きました。作・演出は平岩弓枝先生です。

歌舞伎では厳しい先生ですが、東宝でのご出演はめっぽうリラックスされて、優しかったです。
 冗談もよく仰言ってました。

 「台所太平記」「新台所太平記」「本日休診」「喜劇百年目の幽霊」「ミュージカルとりかへばやものがたり」「新台所太平記」御園座「あわ雪豆腐」「春雷」新橋演舞場とです。

 共演者も新珠三千代。多岐川裕美。田村亮。松原千明。大村金。財津一郎。荻島真一。吉沢京子。岡本信人。一の宮あつ子。京塚昌子。井上順。和泉雅子。山本學。山城新伍。坂口良子。大路三千緒。立原博。林与一。沢田亜矢子。室町あかね。高橋昌也。中村梅枝。草笛光子。安奈淳。有川博。益田喜頓さんと多彩で、多くの方々出演された。

 平岩弓枝先生と中村勘三郎先生には、私も色々な役を頂きました。
 シリヤスな役二枚目半の役。三枚目。汚れ役。ローカルな役。歌って踊るミュージカルの役。どれ程恵まれていたか、今となっては感謝です。
 ミュージカル「とりかえばやものがたり」の時でした座長の中村勘三郎先生が、丁度私の役はさざれ石の少将と言う公卿の役で白塗りなんです。白塗りはあまり慣れてない私に勘三郎先生は5階の楽屋からわざわざ8階の楽屋迄いらして白塗りを教えて下さるのです。恐縮でした。この公卿の格好でトリオで歌って踊るんですよ。後はソロでセンターで宮川泰さんの指揮でのオーケストラで歌うんです。


 勘三郎先生が70才に近づかれた頃でしょうか、「先生私も年ですよ」とこぼしたところ「小林さん何を仰言るんですか、私はこれからハムレットをやりたいと思ってるんですよ!」とその前向きな姿勢には感動しました。

 先生の誕生日にお宅に出演者が集まりプレゼントに皆さんで木の飾り時計をお部屋に飾り付けたところ、本当に無邪気に喜ばれました。

 先生宅で麻雀もよくやりました。森光子さんも常連でしたが、ある時勘三郎先生と石井ふく子さんのお母さんと私とで卓をかこんだ時でした。
  石井ふく子さんのお母さんは大変な粋なかたですが勘三郎先生と口での喧嘩麻雀を戯れるんです。知らなきゃ本当に喧嘩してるとおもっちやいますよ。
それが喧嘩でも洒落が利いていて面白いんですよ。

 勘三郎先生は芝居はリアルにやりなさいと皆んなに仰言ってました。

 十八代目中村勘三郎さんとも「明治一代女」で山本陽子さん田村亮さんと御一緒させて頂きました。

 この時は車夫 平六 を演じさせて頂きましたが、勘三郎先生が見にいらして、「良かったですよ明治の車夫になりきってましたよ」と仰言って、少し肩の荷がおりたのを思い出しました。

  十八代目勘三郎さんとはテレビでも「池田大助捕物日記」に御一緒させて頂き、悪役をやり、まだ勘九郎さん時代で、勘九郎さんと立ち回りもやりました。
結構気が合って六本木のプレイボーイとか、あとゲイバーにも行きました。

 その勘九郎さんがまだ子役に近い頃「春の坂道」山岡荘八原作小幡欣治作演出に、勘九郎さんといとこの岡村清太郎さん(現在の清元延寿太夫)さんが半月ずつダブル出演でした。岡村清太郎さんが子役で、いい場面で見せ場のある芝居をしてお客さんに受ける時に、突然浅草での喜劇役者が悪ふざけして子役のかつらをとってしまったのです。これは許せないと私も怒り座長の染五郎さんに「こんな事が許されていいんですか!」と訴えました。その後暫くはいとこの波之久里子さんに助けてもらったと感謝されました。

 確かにその喜劇役者は皆からの嫌われもんでした。
劇中で私が彼と中村メイコさんの役名を言うところがあって、彼がメイコさんの役名を小さく言って自分の役名を大きく言ってくれませんかときたので、わざと彼の役名を小さく言ってやりました。

 そこにいくと矢張り勘三郎先生とか勘九郎さん(十八代目勘三郎)は芝居を遊ぶにしても洒落てます。
 
 歌舞伎座に先生の芝居を観に行ったとき先生はお婆さんの役で客席をまわるんですが、ちゃんと私が観ている客席のそばまでいらして、面白い台詞を私にかけてきて、お客さんに受けてました。

 勘九郎さんも私が一番前の客席に座っていたら世話物なので、やはりわたしに話しかけるようにして、巧みに、お客さんに受けてました。

 名優は同じ遊ぶにしても上手いもんでした。