久し振りにカセットテープに録音した昭和49年4月5月に帝劇公演の「風と共に去りぬ」菊田一夫脚本演出の打ち上げにおける40分くらいのパロディ作品を聴いた。自分の作品である。
菊田一夫演劇祭上月晃、宝田 明、三国 連太郎、葦原邦子、淀かほる、横内正、森 るみ子、真木洋子 、宮城まり子、東郷 晴子、益田喜頓。他劇団・東宝現代劇出演である。
私の役はエルシングの黒人馭者だった。
2ヶ月公演でスタッフ、出演者、裏方さん、劇場関係者100数十人の親しみは深まっていった。
私は東宝の、時には松竹の舞台の打ち上げに、必ずパロディの作品の脚本、演出及び何故か打ち上げ会のプロデュース迄頼まれた。
約40本ぐらいは作品を書いている。今でも原稿が残っている作品もある。
パロディとはいえちゃんとしっかりした作品を書く。舞台と同じく稽古を重ねる。
だって観客は関係者100数十人で見る目は厳しい関係者ばかり。
脚本は舞台出演の合間に楽屋で書く。その他に出演者の交渉、それに加えてプラスシヨーの方のバンドを探したり忙しい。
作品は当時の絶好調の喜劇「団子郎一座」の菊田一夫先生を見習い、後は自己流で書いた。
女優の浜木綿子さんは小林さん何処であんなアイデアが浮かぶの?と不思議がっていた。私は変わっている人間だからか?
菊田一夫先生は打ち上げパーティの作品を観て、昨日書いた3枚ばかりの原稿を書き換えなくちゃなんてジョークを仰る。暖かい言葉が嬉しい。
「団子郎一座」で面白いのがあった。
赤穂浪士が、間違えて隣りの屋敷に入って、そこの主人の首をはねようとすると、その主人は「吉良家は隣りじや」と答える、大柄の太った俳優(高橋欣三)のそのさまが滑稽だった。面白かった。
長い事やっていたフジテレビの志村コントは大好きだった、これこそ東宝喜劇の流れと似ているとおもった。
菊田一夫先生が書く東宝の喜劇は好きである。森繁久彌、三木のり平、八波むと志、左とん平、その他沢山いる喜劇人。
これこそ本当のお笑いだった。
あの懐かしい喜劇はなくなってしまったのか。
久し振りにカセットテープに録音したパロディを聴くと、その40分は笑いの連続だった。
演出家が本編より面白い!なんて冗談仰言って、それでパーティー参加者の笑いをとっていた。あくまでもジョークである。
この後「団子郎」を書けとか結婚式の台本を書いてとか色々頼まれたが、全て私のお遊びだからとお断わりした。