昭和45年45,年5月より一ヶ月映画で有名な「哀愁」を
帝劇で公演した。

 グランド-ロマンとして菊田一夫製作、脚本、演出で。
  那智わたる。山口 崇。芦原邦子。水森亜土。浜木綿子。志村喬共演。

 静かな大人の観るお芝居だった。

  勿論…劇団-東宝現代劇もかなり出ていて、それぞれ大きな役を演じていた…帝劇オーケストラの演奏する曲別れのワルツも素晴らしかった。

  菊田一夫先生がウォールター橋を昔Γ君の名は」のラジオドラマだが数寄屋橋に置きかえたのは有名な話。
  
1986年には宝塚歌劇団で「哀愁」をミュージカル化している。

  この作品の主役那智わたるさんにぞっこんだった菊田先生の気の入れ方も大変だった。
 
 志村喬さんは珈琲がお好きで隣の楽屋だったが、私の布の袋でで立てるドリップ·珈琲にこれもぞっこんだった。私が役者になる前にアート珈琲で職人としてアートの社長に叩きあげられて修行した本格的な珈琲である。あの頃は楽屋で珈琲を淹れる俳優なんていなかった。今みたいに簡単につくれる器具の普及もなかったし。

 静かに黙々と珈琲を楽しんでおられる志村さんは映画「生きる」を彷彿された。実に落ち着いた暖かみのある方だった。

  名優、スターの方々と共演させて頂いた私の役は楽屋番と食堂の主人の二役だった。

  私はいつも、どんなに台詞が少ない役ても、役にしてしまう、見せ場は主役の邪魔にならないように…でもしっかりと、つくってしまっていた。

 楽屋番の役で劇場舞台裏の場面で、楽屋番の私と山口崇さんと浜木綿子さんの芝居たが、毎日の様に山口崇さんは私を吹かせようとして、色々とてをかえひなをかえ考えてくる。

  よく覚えてないが何か名刺かなんか渡すんだがその名刺に馬の絵を書いてくる。あんまり面白くないのでこっちも吹きはしない。当時の大活躍の馬の名前である。

 とうとうこっちも何か考えて、反対に名刺に面白い事を書いたら、目茶苦茶に吹いてしまって、舞台の袖に隠れてしまった。さあ幕をしめる浜木綿子さんが出られなくなってしまった。

 私もなんとか誤魔化して浜さんも何とか誤魔化して幕を閉じさせたそんな事があった。

  映画「哀愁」で、ながされる白鳥の湖の曲はいつもこの映画を思いださせてくれるるロマンチックな曲でである。