「はじめに⑦(名古屋の小学校)」の続きです。
転校生として通っていた学校はマンモス校だったため、小学3年生の4月から新設校に通うことになりました。
そこでも前の学校と同じように、何だか名古屋は犬山と違ってみんな冷たいと感じていました。
それに文房具やおもちゃ・漫画とか色んなモノを持っている子が多く、これに関してはいいなあ、と思いながら過ごしていました。
うちはまあまあの貧乏家庭だったので、お小遣いも、もらっておらず
このお小遣い問題にもエピソードがあるのですが、またの機会に。
亡くなった父の勤務先の会社が保有している、女性のみの独身寮に住んでいる母・私・妹。
ここで母は寮母として、掃除をしたりみんなの食事を作ったりして働いていました。
実はこの寮には、母以外にもう一人Kさんという寮母がいたのですが。
めっちゃ厳しい人だったんです
この厳しいKさんに、仕事を教えてもらわねばならない母。
周りに人がいる場面では、そうでもないのですが、Kさんはいわゆる影でネチネチといびるタイプだったんですね
私や妹、寮生の前では普通の態度でしたが、母と二人で仕事をしている時のKさんは冷たく厳しい態度でした。
誰かが来るとコロッと態度が変わる、私の今までの勤務先にもいたタイプの人です
母の一日の仕事の中で、一番大変だったのが夕飯の支度です。
時期によりバラバラですが、常に20人ぐらい、多い時や実習生が来た時は、40人近くの食事を作って後片付けをするのですが、この間ずーっと母とKさんは同じ空間にいなければなりません。
(後片付けは当番制でしたが)
私が食堂に向かう途中の廊下で、Kさんが母に厳しく当たっている声がよく聞こえていました。
小さな声で、
「はい・・・すいません・・・」
と謝る母。
とても聞いていられずいたたまれなくなり、Uターンして部屋に戻ったことも数知れず。
ピーク時に食堂に行くと、他の寮生とみんなで向かい合って食べなければならないため、おそらく会食恐怖症だった私には地獄の時間です。
そのため、ちょっと早めに食堂に行くようにしていましたが、タイミングが合わないとまだ夕飯が出来ておらず、母に対するKさんの嫌味も聞くことになるため、時間調整が難しかったです
何も出来ない自分が申し訳なくて、せめて母に心配をかけないよう、大人しくしている他ありませんでした。
※大人しくしているつもりでも、色々ありましたが
今日も命があることに感謝
ありがとうございます