はじめに⑥(名古屋での生活)の続きです。

 

 

前回の記事はこちら↓

 

 

父が勤務していた会社の、独身寮(かつ女子寮)で住むことになった母・私・妹。

 

 

何だかよくわからない環境のまま、小学校2年生の9月に、新しい小学校へ転校生として通い始めました。

 

 

この時の転校生は、私を入れて3人。

 

 

転校生が珍しかったのかわかりませんが、最初はみんなが寄ってきて、色々と聞かれてちょっぴり人気者!?気分を味わいました(笑)

 

 

 

だがしかし。

 

 

 

犬山と違い、名古屋は勉強のスピードがとても早かった叫び

 

 

それに教科書の内容も全く違います。

 

 

まだ私が犬山の小学校で習っていなかった、九九などはとっくに終わっていました。

 

 

 

 

 

転校してすぐに九九のテストがあると知り、焦った私。

 

 

毎回、算数の授業では数人が当てられ、先生に段を指定されて九九を言う、ということが行われていたため、みんなが言う九九を聞いて必死に覚えました。

 

 

 

それ以外に衝撃だったのは、給食です。

 

 

当時の私は今と違って超小食で、給食なんてほとんど食べられませんでした汗

 

 

そのため、犬山では食べる前におかずを自分で減らし、調整することが出来ていたのですが。

 

 

名古屋では、それは許されていませんでした。

※先生や学年にもよるかもしれませんあせる

 

 

しかも、メニューが犬山と全く違います。

 

 

犬山にいた頃は、月に何度かご飯給食で、ひなまつりなどの行事にはケーキっぽいデザートが出ていました。

※このデザートは食べ切った記憶があります凝視

 

 

数年前にネットの記事を読んでこの言葉を知ったのですが、当時の私はもしかして、会食恐怖症だったのかもはてなマークしれません。

 

 

とにかく給食が食べられなくて、無理に食べようとすると吐き気をもよおし、喉が詰まった感じになるのです。

 

 

家族以外の人がいると、特にその症状が出ました。

 

 

親戚や友達が一緒でもダメで、全く食べ物が飲み込めない状態になります。

 

 

 

給食以外でも、同じクラスの子たちは色々なモノを持っていたり、流行っている歌やアニメなど面白いことを知っていたり、お金を自由に使えたりと自分とは全く違っていて、それについていくのに必死でした。

 

 

Kくんと言う子に、

 

 

「どこの幼稚園だった?」

 

 

と聞かれ、

 

 

「〇〇〇〇〇保育園だった」

 

 

と言った瞬間、Kくん

 

 

「〇〇〇〇〇保育園だってー。知ってるー?」

 

 

と大きな声で周りにいたみんなに言い、

 

 

「知らなーい。どこそれ?

保育園って勉強しないとこだよね。

だから九九習ってないんじゃないの?」

 

 

と言われたりして、

 

 

「都会の子はみんな幼稚園で九九を勉強するのか驚き・・・

 

 

と思ったりもしました。

※通常は2年生で九九を習うのだと思いますが汗

 

 

 

その後、この小学校はマンモス校だったため、新設の小学校に3年生から通うことになりましたが、ここでも同じような感じでした。

 

 

2日間、続けて同じ服を着て行って、仲の良かったTちゃんに、

 

 

「あ~!昨日と同じ服を着てる~ビックリマーク

 

 

とみんなの前で言われて、ギョッ驚きとしたこともあります。

 

よく覚えてるな~、ピンク色のTシャツだったから、目立っていたのかな?と当時は思っていました。

 

 

2日続けて同じ服を着たのには理由がありましてキョロキョロ

 

当日の朝、着る物が無くて、まだ洗っていない洗濯物を入れてあるカゴから取り出して(ちょうど洗濯カゴの一番上にピンクのTシャツがあった)、着たんですよね。

 

ちょっとシワが目立っていましたが、まあいいやと(笑)

 

まさかそのことを、仲の良かったTちゃんに指摘されるとは思いませんでしたが汗

 

 

住んでいる寮には門限の他、洗濯機が使える時間も22時までと決まっていました。

 

しかも寮生みんな共同で使うので、なかなか空きが無いんですあせる

 

 

それ以降、同じ服を続けて着ないように(たとえ洗っていても)、大人になった今でも気を付けています。

 

 

この頃はもう名古屋が嫌で、

 

 

「ずっと犬山だったら良かったのに…」

 

 

と思っていました。

 

 

 

⑧に続きます。

 

 

今日も命があることに感謝ビックリマーク

ありがとうございますキラキラ