声はうつろうものだから | sgtのブログ

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歌うことが好きです。コロナ禍で一度はしぼみかけた合唱への熱が''22年〜むしろ強まっています。クラシック音楽を遅まきながら学び始める一方、嵐の曲はいまも大好きです。


いつも偏った記事ばかり書いてますが
今回はとくに個人の見解に偏ってますので、
モヤモヤされた方はどうか回れ右でお願いしますm(_ _)m















人生の半分を嵐ファンとして生きてきた三女(19 )が、ある日の電話で
「最近、さすがに大野さんの声が以前より老けてきたように感じる」
と言いました。



老けた、は厳しいな〜と思いますが、
変わってきたな、と実は私も感じています。



音程にブレがないのは相変わらずですし、
まっすぐ突き抜ける感じもそのままですが、
なんていうか、



目に見えない水蒸気だったものが
目に見える飛行機雲になったような感じ。



大野さんの声の「透明感」を
最も好む人にとっては、この変化は
「衰え」と感じてしまうかもしれません。
(三女はまさにこのタイプ)



ただ、清澄さがいくらか減った分、
柔らかさ、あたたかみが増えたと感じます。
(あくまで個人の感想です)



だから、このタイミングで
あの奉祝歌を聞けたのは本当によかったと
声フェチとしてはむしろ喜んでいます。



現在の大野さんの声で歌いかける
「大丈夫」
という言葉は、
かつてのどんな声よりも優しく頼もしく
聴く人に届いたはず。
(あくまで個人の感想です)



若く瑞々しいことはたしかに美しいけれど、
美しさとはイコール若さではない。
若さ、あるいは「全盛期」という幻想に
固執している暇があったら
いま現在の自分にできる表現の可能性を
広げていく方が絶対に「美しい」。
t合唱団に入団して最初に出会った
合唱指導のM先生の言葉です。



声だって、年齢とともに
どーしたって変化します。
声帯も筋肉ですもの。
(↑実は最近知ったばかり)



Turning upのフェイクの余裕感は、
いまの大野さんの声だからこそ。
そんないいこともあると思うのです。



大野さんはこれから、
変わりゆく声でどんな風に
美しさを表現していくでしょう?



期限付きなのは残念だけど、
これからも楽しみに聴いていこうと思います。