4年ごしのあとがき | sgtのブログ

sgtのブログ

歌うことが好きです。コロナ禍で一度はしぼみかけた合唱への熱が''22年〜むしろ強まっています。クラシック音楽を遅まきながら学び始める一方、嵐の曲はいまも大好きです。


『小さな話」を読んでくださったみなさま、
いくら個人的記念とはいえ、
10日間もかけてくらーい創作を読ませてしまいまして、申し訳ありません、、、いや、
ここはお礼を申し上げるところですね。



長々とお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。
初めて読んで「いいね」くださった方、
2回目なのに「いいね」くださった方、
最初の投稿をさがしてくださった方、
とにかく読んでいただけるのがもう
有難く嬉しく幸せでした。



『小さな話』、
このお話を書いた当時(2015年秋)は
情緒不安定のピークに達していたため
自分の書いたものを振り返る余裕がありませんでしたが、
4年近くが過ぎてようやく
懐かしいな〜と思えるようになりました。
そこで、今さらですが
どうしてこのくらーい(←しつこい)物語を作ったのか
少しお話ししたいと思います。



『暁』という曲は
大野智さんの美しい声が存分に味わえる
大好きな一曲なのですが、
初めて聴いた時から
なぜ三条院の歌を引いてきたのか
そこがどうしても気になりました。 



こころにもあらで うきよにながらへば
こひしかるべき よはのつきかな



政争に敗れた帝の、諦めにも似た嘆きの歌を
『暁』では恋歌として、しかも
恋人と死別した悲しみの歌としていることに驚きました。



その大胆な解釈に
正直、最初は違和感がありました。
けれども
大野さんが歌うことによって
新たな世界が見事に描き出されているので
これはこれで全然アリだわ、と
やがて思うようになりました。



ただそれにしても
「心ならずも生きながらえて」と、
死してなお恋人にこんなにも思われるのは
いったいどんなひと?
という疑問は残り続けました。



まず思い浮かんだのは
紫の上に先立たれた光源氏の姿でした。
(なんてったって王道Japonism)
でも、
『暁』の歌詞の冒頭にある
おぼろ月浮かんだ夜に 可憐に咲いた花よ
というフレーズから考えると、
この恋人たちは夜に出会ったのではないか?
となると、
光源氏が小柴垣の隙間から若紫を垣間見た
あの有名なくだりは日中でしょうから
「光源氏と紫の上」は違う、、、



(こんなこと考える必要ないんですけど、
もうこの時点で想像が走り出して
止まらなくなっていました←やべー奴)



そもそも夜に初めて出会うって
身分の高い人がすることではない。
だけど詞に歌われている恋人の姿は
まるで天女みたいに清らかで、、、



『暁』の かなしく美しいメロディーと
歌詞の世界観を思うと どうしても
ハッピーエンドは思い浮かばない、、、



うーーーーーむ…(´・ω・`)



と、私なりに考えた結果、
あのような形になりました。



ところがそれから2年後、
映画『忍びの国』を観たとき
無門とお国の姿が
『暁』の恋人たちとぴたりと一致しました。
長年の疑問(大げさ)が一気に氷解し
スッキリ\(^^)/という感じ。
(当時 同じように感じたブロ友さんを
あちこちでお見かけし、
お仲間だー♪と大喜びしておりました)



深夜に忍び入った屋敷で
お国の寝顔に一目で恋した無門。
(‘夜に可憐に咲いた花’!)
お国を喪ったあとも
その存在を「母」とねずみに教え、
生涯想い続けたに違いない…
‘心にもあらで憂き世に’ 残された男は
その後の人生をこのように生きたのか、と
もはやこれ以外の解釈は考えられないほど
大いに納得しました。



おかげさまで、今となっては
このお話を書いたことまるごと
いい思い出になっています。



それにしても、いまや2019年7月、
世は嵐さん最後のワクワク学校と
展覧会の話題で盛り上がっているというのに、
このブログはなんてズレたことやってるんでしょう…
(お友達のブログで気づかせていただいた、
2年前の昨日は『忍びの国」の公開日…
その日とも微妙にズレてる残念な自分^^;)



お付き合いくださったみなさま、
ホントにホントに、お世話さまでした。



sgt