中間試験直前の日曜日、おれは とあるビルの広い会議室にいた。
そこには同年代の男女がざっと50人弱…このビルを本社とする企業が後援する、留学プログラムの面接選考のために、学生たちが集まっていた。
対象は高校1、2年生だから同じような年頃…いやむしろ大学受験との兼ね合いを考えれば高1が多いはずなのだが、なんだか周りがみんな堂々として大人びた感じに見えるのは、緊張のせいだろうか。
ここに呼ばれているのはみな書類審査を通った者なのだから、それなりの意志と能力をもって臨んでいるのは当たり前なのだ。
おれだって本気でなきゃ、わざわざ試験前にこんな所に来ない。
気後れなんかしてる場合じゃない、と自分に喝を入れ、目の前の作業に集中することにした。
おれを含め、中間試験を終えていない学校の生徒は、面接の順番を待ちながら長机に勉強道具を広げている。
数学の問題を解いていると、だんだん答えに近づく手応えで心が鎮まる。その効果を期待して、1冊だけ持ってきた問題集に取りかかった。
さすが一流企業の会議室だけあって、空調も椅子の座り心地も快適で、初めての場所なのに思いの他集中できる。
今日18時までこの待機室は自由に使ってよいと説明があったから、面接後も自習室として使わせてもらおうと思った。
面接順は番号だけで呼び出されるようだから、そこだけ聞きもらさないよう気をつけなければいけないが。
面接が終わって待機室に戻り、再び問題集に取りかかる。
4時過ぎには面接全体が終わったというアナウンスが流れたが、この場所を気に入ったらしい10人余りが、好きなところに陣取ってそれぞれの「仕事」に没頭していた。
おれも試験範囲部分は、誤答の解き直しまでやり尽くしてしまった。
そろそろ帰ろう。
ブラインドの隙間から漏れる日差しの色が変わってきたな、と思い時計を見ると5時半を回っていた。
ウォーターサーバーから水を汲んで飲んでいると、
「あの、市原くん…だよね?」
背後から声をかけられた。
「ああ、やっぱりそうだ。
私のこと、覚えてる?」
見覚えのある女子。たしか、去年同じクラスだった、
「えぇと…野田、さん?」
「そう!野田紗希子のださきこ!
やった、覚えててもらえた~」
野田紗希子…去年、文化祭実行委員として大活躍していたから印象に残っている。
すらりとしてボーイッシュで、てきぱきと明るく仕事をこなしていく姿は傍目にも気持ちよかった。
「うちの学校からもう1人面接に進んだ人がいるって先生に聞いてたけど…そっか、市原くんだったか~」
「そんな情報ってどっから来るわけ」
「だって私、英語部だもーん…あ、でも個人名は先生バラさなかったよ?」
野田もサーバーから水をとる。
「この部屋いいよねー。私もフルに使わせてもらっちゃった…お水も美味しいし」
「うん。いかにもエリートの仕事場、って感じで」
「だよねー。私も思った…でもそろそろ帰るでしょ?」
「まぁ時間だから」
「じゃ一緒に出ようよ」
野田は水をくいっと飲み干して、荷物をまとめに席に戻った。
こっちの了解も聞かずに…と思ったものの、特に断る理由もない。
周りの「自主居残り組」もぼちぼち腰を上げ始めていた。
エレベーターを待つ間、野田はおれの頭から足先までひとしきり見渡していた。
「私服だと雰囲気違うね~」
「おれだって、声かけられなきゃそっちに気づかない」
おれはエレベーターの電光表示を眺めたまま応えた。
「市原くんには、間違えようのない『王子の瞳』があるからね。廊下ですれちがった時にあっと思った」
「まぁ確かに、人と間違われることはないな」
「そりゃそーでしょ」
それにしてもポンポン言葉の出てくるやつ…全く嫌味がないのが救いだが。
エレベーターの到着を知らせる軽やかな電子音がして扉が開く。
この階から5人ほどが乗り込んだ。
滑るように動きだした箱の中で、野田は なおもこちらを覗き込むようにして言った。
「ね、前から一度訊いてみたかったんだけど、」
何を訊くんだろう、と思って目を合わせるると、野田はそれまでのトーンとは打って変わって何かためらうような表情をした。
そうしているうちにエレベーターが1階に着いて、
扉が開き、外の空気が流れ込むと同時に、
野田が口を開いた。
「市原くんてゲイじゃないよね?」
ぶふッ!
さっき飲んだ水が逆流して鼻に抜けそうになった。
とはいえ箱の出入り口に立ち止まったら迷惑だから、ロビーの真ん中まで、咳き込みながらどうにか足を運ぶ。
野田は申し訳なさそうについてきた。
焦って周りを見ると、エレベーターの中にいた人たちがこの会話の内容を気にしながら、名残り惜しそうに散っていった。
「えっ、と、そっち方面に、いく動機ないけど…」
咳の合間に、おれは妙に律儀に答える…こんな質問、どう答えるのが正解かなんてわからない。
一対一で喋るのは今日がほぼ初めてなのに、なんて質問を、なんてタイミングで。
冗談をかわす用意すらできていなかったから、本心で答えてしまった。
「ごめんね市原くん、でもどうしても確かめておきたかったの」
なんで、とまだ掠れたままの声で訊くと、
「私、一宮くんのファンだから」
野田は大真面目に答えた。