輔の「発作」は大したことにはならず、次の朝にはもういつも通りに戻っていたので、ぼくは本当にホッとした。
今夜のお祭り、これなら輔も行けそう。
それが終わったら明日はやっと帰れるんだ。
そう思うと二重に嬉しい。
お昼がすんで、ぼくが2階で宿題をしていると、
「おばあちゃーん、見て~」
下から燈里ちゃんの声が聞こえてきたので、いとこたちが来たんだとわかった。
茉由ちゃんに昨日のことを謝らなきゃと、輔を呼んで一緒に下に降りていった。
けれども玄関にいたのは浴衣を着た早織ちゃんと燈里ちゃんだけで、茉由ちゃんはいなかった。
おばあちゃんが女の子たちの浴衣姿をほめている。
その後ろ姿が大きな真っ黒い影に見えて、ぼくは階段の途中で思わず止まってしまったけど、輔はそんなぼくを追いこして とことこ降りていった。
「輔くん、どう?似合う?」
輔を見つけた燈里ちゃんが、朝顔模様の浴衣を見せびらかすように、下駄をはいたまま一回転した。
「すごーい!かわいい!似合ーう!」
「一緒にDVDみよう!」
「うん、みる、みる!」
燈里ちゃんはお気に入りのDVDを借りてもらってごきげんで、下駄をぽいぽいっと脱ぎすてて中に上がると、輔とつれだってテレビの部屋へかけていった。
「これっ燈里ちゃん!お行儀の悪い…
お祭りまで着崩れないように、おとなしくしてるんですよッ」
「はーい」
おばあちゃんは、放ったらかされた下駄をそろえて立ち上がると、階段の途中にぼくがいるのに気づいた。
「衛くん、宿題は終わったの?」
急におばあちゃんがぼくに話しかけたので、ぼくはびくっとして「あ、はい」と小声で答えるのがやっとだった。
するとおばあちゃんは、またいつもの、何も見えていないみたいな顔になって部屋へと戻っていった。
ぼくがまだどきどきして、階段も降りずに石みたいに固まっていると、早織ちゃんが下駄を脱いで上がってきた。
「衛くんも大変だねー。大人からも子どもからもいじめられて」
早織ちゃんの言ってる意味がよくわからなくて、ぼくは固まったまま考えていた。
「おばあちゃん、衛くんを無視してることを私に知られたくないから、いま衛くんに話しかけたんだよ…バレバレなのに」
ああ、そうか…おばあちゃんが急に話してきたのはそういうわけ。
でも、いじめられてはいないけど。
それに子どもからいじめ…って、茉由ちゃんの意地悪のこと?
「茉由ちゃんはどうしたの?」
ぼくはやっと動きだした足で階段を下りながら早織ちゃんにきいた。
「茉由はお腹が痛いんだって。…って言ってるけど、昨日のことが気まずくて来れないんだよ」
「…」
「私 昨日、部屋の中から見てたんだ…話してた内容までは聞こえないけど、どうせあれでしょ?茉由の青い目差別」
「うん…」
「そしたら輔くんが怒って、それで発作が起きて…」
ぼくは黙ってうなずいた。
「それはひどいよ。輔くんだってかわいそう」
奥の部屋から、アニメの音楽と、燈里ちゃんと輔の笑い声が聞こえてくる。
「衛くんのお母さんを呼びに行くとき、まだ茉由が庭にいたから、腹立って言ってやったの、
輔くんがどうして発作起こしたか、私全部見てたからおばあちゃんに言ってやろうか、って…そしたら走って逃げてっちゃった」
早織ちゃんはなんだか楽しそうだった。
「燈里がね、ずっと衛くんのことかっこいいって言ってて、今度遊びに来たら衛くんとも輔くんとも仲良くなりたいって言ってたの。
それをいつも茉由に邪魔されてたから、今日は茉由が来ないってわかって、燈里、本当にのびのびしてる」
そんなこと、全然知らなかった。
「それにさぁ、衛くん。衛くんにはまだわからないだろうけど…」
早織ちゃんが内緒話をするようにぼくの耳にかがみ込んだ。
浴衣の糊の甘い匂いがして、ぼくはどきっとした。
「茉由だって本当は、衛くんのことが好きなんだよ」
「えぇ⁉︎」
つい大きな声が出て、ぼくはあわてて口をふさいだ。
「茉由は甘やかされてわがままだから、なんかに興味示すといつも上からっていうか…わざと変なことして自分に従わせようとするの。
小さい頃は…たぶん茉由の家では今でも、それで通じんだろうけど、いい加減どこでもそれやられたら迷惑だよね?」
急に言われても、茉由ちゃんがぼくを好きだなんて信じられない。
むしろ嫌われてるんだと思ってた。
「でも茉由ちゃん、お祭りに来れなかったらかわいそうだね…」
ぼくがつぶやくと、早織ちゃんはにっこり笑った。
「だいじょーぶ、衛くんは優しいね。
お腹痛いなんてどうせ仮病なんだから、お祭りが始まる頃には知らん顔で出てくるよ」
立ち上がった早織ちゃんは、昨日よりもずっと大人っぽく見えた。
花火みたいな模様の紺色の浴衣のせいかもしれない。
「さ、衛くんも一緒にDVD観よ」
早織ちゃんが歩いていく、その後ろをぼくもついて行った。
この4歳年上のいとこのお姉ちゃんがいろんなことをわかってくれて、少し気持ちが楽になった。でも、
いつも仲が良さように見えた3人のいとこたちは、実はそうでもなかったみたいで、
女の子の世界は大変だ…と思った。
日が暮れかけて、空がオレンジ色から紫色に変わる頃、ぼくのお母さんと子ども4人でお祭りに出かけた。
輔は、お母さんが用意していた甚平に着替えさせてもらって気合十分で…その上ぼくまで着替えることになった。
ぼくはいいって言ったのに、お母さんが、せっかくのお祭りなんだから、って。
おまけにお父さんに写真まで撮られた。
燈里ちゃんと輔は大はしゃぎで、仲良く手をつないでずんずん歩いていった。
けれども、夜店の出ている神社に着くと、それぞれが見たいお店に勝手に行ってしまいそうになる。
「おばちゃん、わたあめ買って~」
「ぼく、かき氷の方がいい!」
「サイリウムのうでわ欲しい!」
「金魚すくいやりた~い」
早織ちゃんとぼくは、ちょろちょろする2人をつかまえて回るのが大変だった。
お母さんは、時々注意はしたけれど、楽しそうにぼくたちを見ていた。
保育園でも、夏休みに先生たちが「夕涼み会」ってお祭りみたいなことをしてくれてすごく楽しかったけど、
本物の神社でのお祭りは、石の鳥居や、お宮の古い建物や、大きな木なんかが作る影がとても暗くて、ぼんぼりに照らされた夜店の楽しさよりも、ぼくはそのことが気になって仕方なかった。
ちゃんと明るいところにいないと、暗闇に隠れている何かにさらわれてしまいそうで。
ぼく自身が迷子になるのも怖かったけど、
もし輔があの暗がりに迷い込んだらもう帰って来なくなるような気がして、ぼくは輔を探してはお母さんのところへ連れ戻すことに必死になっていた。
おろしたての甚平を汗でくたくたにして、よそ見ばかりする輔の手を引いて石だたみの上を歩いていると、
少し離れた屋台に茉由ちゃんの姿が見えた。
茉由ちゃんは伯母さんとおそろいの浴衣を着て、手にはヨーヨーをぶらさげ、かき氷の器を持っていた。
かき氷食べてるくらいなら、お腹は大丈夫なんだな、と思って見ていると、
茉由ちゃんもこっちに気づいて目が合った。でも、
「ねぇママー、あっち行こう」
と、ぼくに気づいていない伯母さんの浴衣の袖を引っ張って、ぼくなんか初めからいなかったような顔で屋台の角を曲がっていった。
ほんの一瞬のことだったから、輔の方も茉由ちゃんに気づかなくて、まだ帰りたくなーい、と だだをこねていた。
ぼくは、角を曲がるときの茉由ちゃんの顔がおばあちゃんに似てたなぁ、と思った。
次の日、ぼくらが帰るときも茉由ちゃんは見送りには来なかったので、輔が言ったことはとうとう、謝りそびれたままになった。