こちらの記事の続きです。
次に③と④について書きたいと思います。
当時の宮城県は学区に分かれていました。
北部、東部、中部北、中部南、南部の
5つの学区にです。
一部例外はあるものの、
中学3年生は他学区の高校を
受験することができませんでした。
さらに別学校の問題もありました。
ですから例えば中部南地区の男子の場合だと、
最難関は仙台一高、
そしてそれに続くのは仙台向山、仙台南で、
仙台二高や宮城一高(旧宮城一女)、
仙台二華(旧宮城二女)は
受験できなかったのです。
偏差値60以上の高校の選択肢が
1つしかなかったわけですから、
なかなか厳しい環境だったのが
わかるのではないでしょうか。
おかしなことも起こりました。
例えば仙台市青葉区大手町は、
五橋中の学区で中部南地区になります。
ただちょうど学区の境目で、
一番近い公立高校は
中部北地区の仙台二高になります。
Google Mapsで調べたところ、
歩いて10分ほどの距離しかありません。
ところが規則で仙台二高は受験できないのです。
中部南学区で男子が受験できる最難関校は
仙台一高でしたが、
歩くと40分以上かかります。
目の前にある高校を受験できず、
わざわざ遠くの高校に
通わなければいけなかったわけです。
こんな理不尽なことがよくありました。
ただ、例外もありました。
それは中部北地区と中部南地区の間の、
別学校の数のバランスの悪さを
解消するための制度でした。
当時中部北地区には仙台二高、仙台三高という
2つの男子校があり、
宮城一女(現宮城一高)という1つの女子校もありました。
逆に中部南地区には仙台一高という
1つの男子校があり、
宮城二女(現仙台二華)、宮城三女(現仙台三桜)という
2つの女子校があったのです。
ちなみに仙台商業、仙台女子商という
別学校もありましたが、
学区が影響するのは普通科だけで、
商業科に学区はなかったので除いて考えています。
つまり、中部北地区は男子校が多く、
中部南地区は女子校が多かったわけです。
中部北地区のほうが人口が多かったので、
中部北地区に男子校が多いのは
まあそこまで問題とは言えないでしょう。
ところが人口が少ない中部南地区のほうが
女子校が多いというのは
どう考えてもバランスが良いとは言えません。
それで中部北地区の女子は特例として
宮城二女、宮城三女の両女子校を
受験することが出来たのです。
ただし、一定の枠が決められていました。
後のほうでは25%という枠になったと思いますが、
当時はもう少し枠が大きかったように思います。
記憶が定かではありませんが、
3分の1ぐらいは入学できたのではないでしょうか。
かなり大きな枠ですので、
実質的に無制限で入学できたわけです。
特に宮城二女は
中部北地区からも人気がありましたね。
宮城一女よりもほんの少しだけ
入りやすかったのもありますし、
宮城一女とはスクールカラーも
かなり違っていましたから、
あえて宮城二女を選ぶ子もいました。
次回に続く