今回は、上座仏教(テーラワーダ仏教)長老の
アルボムッレ・スマナサーラさん(1945-)
の言葉を味わいたいと思います。
1日1話形式で、366の言葉が掲載されている本
から、今回は6月の30の言葉から抜粋します。
 
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「6月」
(『ブッダの教え 一日一話』から抜粋)
 
・人は「どうでもいいこと」にかこつけて、
相手を潰そうとしたり、自分の強さや正しさを
示そうとしたりします。
一生懸命に、「相手にみじんでもアラがないか」
とさがそうとします。 そして、「どうでもいい
こと」をみつけては、先を争い、ケンカを仕掛け
ようとします。
ただでさえ生きることは苦しいのに、必死に
なって敵をさがす。 好きこのんで争いを
仕掛けて、そのうえ「争いがあるから苦しい」と、
文句まで言います。 人間は、そういう矛盾した
存在なのです。
 
・証明できないものに対しては、「信じる」か
「信じない」かしかなくなります。 例えば
一神教の説く「神」のように。
そして、いったん信じることにすると、あとは
ただ、信仰して生きるしかないのです。
信仰におちいると、それについて議論すること
も、疑問を抱くこともままならなくなります。
森羅万象を客観的に、科学的に調べることも
できなくなります。
 
・人間の栄養となる食べ物は、米やパン、野菜や
肉などだけではありません。 それらは肉体に
与える物質に過ぎません。
私たちが「みるもの、聞くもの、嗅ぐもの、
触れるもの、思考するもの」も、大事な栄養です。
これらも食べものと同じように、汚れたものは
とってはならないのです。 気をつけて、清らか
なものをとるようにしましょう。
 
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「どうでもいいこと」とはどういうものか。
アルボムッレさんが他のページでおっしゃる
のは、例えば「宇宙の真理とは何か」、
「仏とは何か」、「宇宙に生命はいるか」、
「神は存在するか」など客観的な証拠がなく
て、延々と議論したところで、我々の生き方に
無関係で、我々の心が清らかになるものでない
こと。信じてもいいし、信じなくてもいいこと。 
信ずる必要もないし、否定する必要もないこと、
です。
逆に大切なことは、心の健康であり、
「いまの心」をつねに清らかにしておく、と
いうことです。
 
実技セミナーでは、実技を始める前のほんの
数分間、ほうきで床を掃きます。 そのときに、
床を掃くだけでなく、自分の中をきれいにする
つもりで掃きます。
そうすると、次第に、ほうきを持つ手と
自分の体がつながってくるのを感じます。
また、自分の体とほうきがつながっていくのを
感じます。
すると、ほうきがあちこちにガン!とぶつかること
が無くなります。
ほうきで掃く「さっ」、「さっ」という音が自分の
中に入ってきます。
慣れてくると、他の人がほうきを掃く音を聞けば、
その中身を感じるようになります。
 
だから、お掃除ロボットに清掃を任せるのは、
とても、もったいないことだなぁと思ってます
 (^^)!
 
また、お金を出して、あるいは遠いところまで
時間をかけて、習い事や教育、療育を受けるのも
いいですが、身近なところにもたくさん学びが
あるということを忘れたくないなぁと思います。
 
暮らしは学びであり、
学びは暮らしである。
 
 

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