明日提出の課題には、自分の意見を書かなくてはいけません。

本の概要を書くときは、自分の意見を入れてはいけないのですが

概要の他に、自分の考えを別に書くというのが、先生からの課題です。


自分の考えをまとめる為に、今日ブログを書いていましたが・・・

書くのはたった1ページだから、適切に思っていることを明確に書かなくてはなりません。


パウロさんの考えは、もっともだと思いますが

実行するには、かなり難しいというのが私の意見です。

私だって、子ども達が詰め込み型の

一方通行な教育のシステムで物事を学べるとは思いませんが

そもそも、社会全体を変えないと

パウロさんの支持するような教育制度は作れません。


例えば、勉強の教え方をさらに機械的にしている制度

Star Test は子どもの能力を測るためと建前はかっこよく

実際は、政治家との癒着で

テスト会社が金儲けをしてるだけなのではないか?とある人が言っていました。

このテストの開発に、毎年何億ドルものお金がつぎ込まれるそうですが

その出来上がったテストは、子どもの能力を測り

子どもの能力の高かった学校のみ

国がお金を上げるなどと、前大統領が決めてしまった性で

子ども達は休み時間も取り上げられ

そのテストに出そうな質問を毎日練習させられるという状況になりました。

その何億ドルを、子どものテスト結果が低かった学校に渡して

先生の数を充実させ、給食や教材をもっとサポートし

学校付属のカウンセラーを探し、家族の心の支えを作り

遠足もたくさん連れて行き

子ども達に、もっと色んな経験をさせて上げられたら

あっという間に、子どもの学習能力は上がると聞きました。


つまり、金儲けの為に使われている学校制度が無くならない限り

本当の意味での教育を目指すのは無理だと思うのです。


例えば、保育園にしても

子どもに良いといわれている保育園は、馬鹿高い月謝を払わなければ

子どもを入れられません。

RMにしてみても

値段が低い代わりに

週に3時間の仕事は強制ですから

自営業だったり、会社で上のほうのポジションの人で無いと

実はこの素晴らしい環境で子供を育てることは出来ないのです。

RMは金儲けの為にあるわけではないけど、ある程度お金のない人間は

仕事をしながら、子供を育てることが出来ないので

結果的には、お金に教育を妥協させられているということになります。


サンフランシスコの公立小学校は、子どもの頭数 掛ける いくら で

予算が配られます。

子どもが居ても、遅刻や欠席が多い学校は

予算が減ります。

なぜなら、毎日の出席率で計算するからです。

予算から、校長、教師のお金を払いますが

それだけでは、教材や本を買うお金は出ないし

音楽、体育、美術を教える先生方の給料は

含まれて居ないので

子どもにそれらの授業も受けさせたい親は、当然

そういう科目もある学校を選ばなくてはなりません。

そして、その先生を雇う為に

学校に寄付をしたり

年間のイベントで、寄付を集めたりします。

クッキー、チョコ、ピザ、ギフト用品を売って歩き

売り上げを子どもの学校の運営費に回すのです。

子どもに美術を習わせたくても、学校に寄付を集める手伝いをしたくない人間ばかりが集まっていたら

その学校は、予算不足で

特別の授業を削っていくしかない状況になります。


なんでもお金です。

国語、理科、社会、数学を教えるだけだったら

安くすむのです。


中学校では体育は必須課題だそうですが

何故か、小学校では削られるのです。


ハリの学校は、保護者の強い希望で

体育時間が増えてきていますが

子どものことを学習しないまま

子どもの教育要項を考える人が上に立つと

今のサンフランシスコの現状のような

最悪な教育がまかり通ってしまうのです。


政治家が、本当の意味で子どもを大切に考えない限り

子供の為になる教育なんて

絶対にありえません。


この方法で書いていたら、一枚にはおさまらないわ。

練り直そう。