Paulo Freire さんはブラジルの教育者です。

彼は、現代の教育を銀行型と名づけました。

銀行型の教育では、知識は価値のあるもので

物のように誰かの手から誰かに受け渡されると考えられています。

知識は、それを持つものすなわち教師からの贈り物であり

生徒達はそれを黙って受け取るのが、教育だと考えています。

教育者は、知識を空の銀行口座、つまり

生徒の脳みそに預けます。

それは、どんどん詰め込まれれば詰め込まれるほど、素晴らしいと考えられます。

より多くの生徒の脳に、よりたくさんの自分の知識を詰め込める先生が

より素晴らしい先生となり

先生から送られる知識を、そのまま暗記できる生徒こそ

より素晴らしい生徒と評価されるのが銀行型教育の特徴です。

生徒は、先生の言うことに疑問を持ちません。もってはいけません。

それは、強い階級制度にコントロールされています。

先生が偉くて、生徒は偉くない。

先生が頭が良くて、生徒は頭が悪い。

何も知らない、無学な生徒達は、言われたことをただ素直に暗記し、自分の脳に記憶すれば良いのです。

生徒と先生の関係は、一方通行で機械的になります。

先生は、知識を説明するだけ

上の物が下のものに、それを受け渡すというのが

銀行型の教育の特徴です。

この教育法で作られる生徒は

自分の人生とはまったく関係ない知識を詰め込まれ

それで頭が良くなったと勘違いし

自分が知らないことには疑問を持たず

上の人間が言うことを黙って受け入れる姿勢をとることを学びます。

これは、社会を抑圧したい人間が仕組んでいるシステムで

このように物事をただ受け入れるだけの人間を作ると

社会をコントロールしやすいので

このような教育方法を取っていると言うのが

パウロさんの考えです。

この場合の知識は、お金のように貯めることも出来れば

その知識でカタログを作ることは出来ますが

その知識を実際の生活に役立たせることは、殆どありません。

このまま、このような教育を続けると

みんな死体愛好家になってしまうというのが

パウロさんの考えです。

つまり、既に死んでいるものを敬愛する。

自分の人生に関係ない知識、昔の人の知識が

彼の言う死体です。

言われて見れば

自分達は、文部省が選んだ要項に合わせて作られた教科書に

何の疑問も抱かず

それが自分の人生に必要なものだと思い込まされて

小・中・高と学習させられてきました。

大學の授業だって

私などは、カウンセラーのアドバイスに従い

大学の教授が選んだ教科書を使い

教授が立てた計画に従い

物事を学んでいます。

この教育は、私にとって本当に必要なのでしょうか?


実際、教育学のクラスはどれもためになって役立っているので、その疑問は浮かびませんでした。

一般教養も自分の興味のあるものを選んでいるので、特に不満に思ったことはありませんでした。


でも、パウロさんと同じ考えは

中学・高校のころ

常に感じていました。

【こんなこと、実際の社会でなんの役に立つの?】


自分の生活に結び付けられない教育は、本当の意味での教育とはいえないというのが

パウロさんの主張です。

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