こんにちは。
子どものこころのコーチング協会
インストラクターの高橋祐子です。
『兄弟は平等じゃなくていい』
こんなこと言われたら、
兄弟姉妹を育てるママも、自分に兄弟姉妹がいるママも、
こころ穏やかではない方が多いのではないでしょうか。
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兄弟は平等に
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わたしは男の子二人(小三、年中)のママです。
そして、自分自身、二人姉妹の妹でもあります。
『兄弟は平等に』
これは、兄弟を育てる親として、当たり前にもっていた『常識』でした。
長男にも次男にも、お食い初めでは同じような大きさの鯛を買い、
一歳のお誕生日には写真館で写真を撮ってアルバムを作りました。
長男が経験したことは、次男も同じように経験できるように。
長男が与えられたものは、次男も同じように与えられるように。
その思いは、かたくなでした。
例えば兄弟どちらか一人と買い物に行ったときも、お菓子を買うなら二人分、
ガチャガチャをやりたいといわれても、二人一緒の時でないとやらない。
そんな風に目に見えるかたちで、
『二人を平等に愛しているよ』
を伝えてきたつもりでした。
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平等のはずなのに『ずるい』?
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少しずつ違和感が出てきたのは、長男が小学生になった頃でしょうか。
長男がことあるごとに
「次男はずるい」
と言うようになったのです。
当時次男はまだ未就園児。
一日中わたしと一緒にいられる次男が、うらやましくて仕方がなかったのです。
家にいる次男は、同居の祖父母に連れ出してもらえる機会が多いのも、
「次男ずるい!」
に拍車をかけていました。
祖父母からは
「長男だって幼稚園に入る前は、ママとずっと一緒にいたじゃない。
ジジババといっしょに出掛けて、ガチャガチャだっていっぱいやらせてあげたじゃない。
こんどは次男の番なんだよ。」
と諭される日々。
これはそのまま、わたしの心の声でもありました。
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わかってもらいたくて必死だった
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だんだんと『ずるい』という思いが長男にたまっていき、
癇癪というかたちで噴き出すようになりました。
そんな時でも、わたしはまだ『兄弟は平等に』を手放せず、
「次男がずるいわけではない。
あなたにも同じようにしてあげていたんだよ。平等だよ。」
と、わかってもらいたくて必死でした。
そんな日々が長く続いていたあるとき、
長男が
『弟の方が大事にされている』
という気持ちを持っていることに気がつきました。
ショックでした。
兄弟二人に、同じように愛していると伝えたくて平等にしてきたつもりだったのに。
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平等ってどういうこと?
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わたしの中で『兄弟は平等に』というのは、
なんでも同じようにやってあげることだと思っていました。
それが平等な愛情のかけ方だと思っていたんですね。
母の影響も大きいと思います。
同じようにやってあげれば、愛情も平等に伝わるはず、と。
現在は、形だけの平等を手放して、
子どもたちがそれぞれ愛されていると感じられる関わりを目指しています。
とはいえ今も、次男のスモックを手作りすべきか、既製品ですませるか、
ちょっぴり悩んでいたりもしますが…。
(長男のは全部作っていたので。)
次男は既製品のポケモン柄の方が喜ぶことも、知っているのに、です。
長年握りしめたマイルールは、急には手放せないものですね。
でも基本スタンスは、
二人の愛情タンクがそれぞれ満タンであるように、個別に対応。
兄弟平等でなくていい。
わたしの不平等が、子どもにとっては平等かもしれないのですから。
兄弟平等なんて、クソくらえ!(笑)です。
最後までお読みいただき、ありがとうござました。
子どものこころのコーチング協会
インストラクター 高橋 祐子