「私はただ息子を愛していたんだなぁ」
そう言った友人の目から、
きれいな涙がぽろぽろとこぼれ落ちていきました。
それは、あと数年で成人というお子さんに対する
親としての葛藤を打ち明けてくれた食事の席でのこと。
子どもの将来を案じてするアドバイスを
ことごとく曲解される親の苦悩を聞いていたとき、
ふと思ったことを私が口にしたのです。
「お母さんは、子どもが辛そうな顔をしていると
無条件に自分も辛く感じてしまうものなんですね」
彼女は何か大事なことに気づいたという表情をして、
自分の根っこの気持ちを確信したのです。
それが、タイトルにある言葉でした。
彼女はこんなことを語ってくれました。
「子どもが小さいときは、
ストレートに愛せていたのにな。
現代って情報が多すぎるのよね。
毒親がどうだとか
こんな育て方をすると引きこもりになるとか
いろんな情報が入って来て怖くなって。
過保護にしちゃいけないと距離を置いたり
能力を最大限引き出してあげようとお膳だてしたり。
でもそれが子どもには受け入れてもらえなくて。
いろいろ見えなくなっていたけど
私は子どもをただ愛していたのよね。
大切なことはシンプルなことなのよね。」
彼女の目には力強い光が宿り
表情にも母親としての自信が戻っていました。
その様子を真の当たりにした私は
「子どもを愛している」
という気持ちに実感を持てることが
こんなにもお母さんの顔を輝かせるのかと
素直な感動を感じました。
そして、子どものころは鬱陶しく感じた
親の小言や過干渉もまた
愛情だったんだなぁと思いました。
どんな形だったにせよ、
そこには愛しかなかったんだなぁと。
愛されているかと悩む人は多いけど
愛せているか?ということに
こんなに真摯に向き合っているのは
「お母さん」以外にいないような気がします。
お母さんてすごい、と感じました。
世の中のお母さんが、
「愛している」自分に自信を持てたら
気持ちが少し楽になるのかもしれません。
巷の情報や常識のなかにある「正しさ」に
心揺れそうになったら
「ただ、子どもを愛している気持ち」に
戻ってこれるといいですね。