【大阪市西区二児餓死事件】もうすぐ10年 その① | 子どもを守る目@関西のブログ

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このコミュニティーは、育児不安・育児困難を抱えた方をサポートしたい、そんな思いで生まれました。

「学ぶ会」「セミナー」「お茶会」などを通して、
子育てについて語り合い、学び合い、出会いや繋がりを作っています。

あの事件が社会に投げかけた数々の課題とこの10年間向き合ってきました。

社会はまだまだ変わっていません。

 

当時、裁判傍聴記を書きました。
 

10年経ってもなお、同じ課題で社会は議論をしているので、

改めて今、数回に分けて傍聴記をアップし直します。

 



第3回公判に行ってきました。

 

初公判&第2回公判の新聞記事を見ていると、

「キャバクラ」「ホスト」「借金」「浮気」

等の文字が並び、その文字から想像するステレオタイプなイメージに、

彼女をあてはめ、安心したいのかな?と違和感を感じていました。

 

「そんな人だから殺人を犯しても仕方がない」とステレオタイプに当てはめ、

社会全体で思考停止したら、

社会が抱えているいろいろな問題について考えなくていいし、

見なかったことにしたらいいだけなので、私たちにはとても都合がいい。

 

彼女一人に責任を押し付けたら、

自分たちは悪者にならなくてすむ。

悪者は彼女一人でした。はい、おしまい、みたいなイメージです。

 

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彼女が夫と離婚をする時に、話合いの場が持たれたのですが、

夫、夫の両親、父、父の友人がいて、知らない間に家族会議が始まったそうです。

 

「びっくりしました」

 

「離婚をするもしないもそんなことを考えなかったし、

その状況がその時点で嫌だったから、もうやっていけない、とその時言った」

 

「責められている気がした」

 

「夫はやり直したいと言っていた。その時はとにかくその状況から逃げ出したかった」

 

「本当は2人で話したかった」

 

「離婚はしたくなかったけど、言い直せる状況ではなかった」

 

「私には育てられないと言った。きちんと働いたこともないし

みんなの協力があってやってこれたから、一人とか無理」

 

そう言うと、

 

「母親から子どもを引き離すことはできない」

 

「その場にいたみんなに言われた気がする」

 

検察側から、

 

「(子どもに)母親が必要だと思いましたか?」

 

と質問され、

 

「私にはわかりません」

 

「自分が嫌で逃げたり、子どもは引き取れない…やっていけない、

言ってはいけないことを言ってしまった。

私は母親失格だと思いました。だから私にはわからない」

 

「その時やり直したいと私が言える雰囲気ではなかった」

 

「辛かったから考えるのをやめにした。

桜子と楓の気持ちを考えるとひどい事をしているし、

そんなひどい事をしている私、自分が嫌で辛かった。考えないようにした」

 

彼女は離婚をしてから、母子だけになった時、

まずは友達の男性の家に身を寄せていますが、2、3日したら、

 

「現実的に無理や」

 

と言われ、

 

「ミルクもお金もない」

 

と、母親に電話し、母親の家に行きました。

 

しかし、彼女と母親は、両親の離婚が原因で、

小3から一緒には住んでいません。

 

母親は精神的に不安定で、リストカットをしたり、薬を飲んだりしていたそうです。

 

だから、身を寄せたものの、

 

「早く家を出なきゃと思って寮つきの仕事を探した」

 

そして、名古屋のキャバクラに勤務しています。

 

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シングルマザーで、保証人なしで家を借りることができ、託児まで探してくれる職場は、

おそらく水商売だけではないでしょうか。

 

夜、働いている女性には、シングルマザーの方も多数います。

その女性たちは、子どもをどこかに預けて働いています。

もしくは、彼女のように、寝かしつけてから働きに出ています。

 

夜の仕事には、寮付、託児付の仕事が沢山あるのに、

昼の仕事にはなぜほとんどないのでしょう?

 

行政の方は、

 

「母子生活支援施設もあります」

 

と、おっしゃっていましたが、

住民票を移すことも思い至らない彼女に、その施設の存在を、

どうして知ることができたでしょう?

(彼女は名古屋のキャバクラに勤務した後、大阪のキャバクラに勤務しています)

 

施設があることを知っていれば、自力で寮付の仕事を探す前に、

行政窓口に相談に行くことも頭に浮かんだかもしれません。

 

彼女は、離婚をしてすぐに勤務した名古屋のキャバクラを、

数か月で辞めて、大阪に引っ越しています。

 

「住民票が大阪市にない方でも、大阪市のサービスを受けることができます」

 

そんな制度を彼女が知る由もありません。

 

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「3人になったばかりの時はさみしかった。

2人をお風呂に入れる時、一番最初に辛いと思った。

楓はまだ立てないし、桜子はまだしっかりしていないから。

2人同時にお風呂に入れるのがすごくしんどかった」

 

「夜の仕事は初めてですよね?」

 

「初めてです。仕事をするのも大変だった」

 

「誰かを頼ることは?」

 

「できませんでした」

 

「お母さんは出ていくことを泣いて反対したから連絡できなかったし、

父にはなんとなく連絡できなかった」

 

「今更頼れないという心境ですか?」

 

「はい」

 

「離婚したことも私が悪いからギリギリまでもう少しがんばらなきゃと思った」

 

「10月末にキャバクラをやめていますがなぜですか?」

 

「仕事に行く時間になると子どもが熱を出して、なかなか仕事に行けず、

託児所に預けられず、医者や友達に相談したら『イヤイヤ病』…

ママと離れたくなると熱を出す、そういうことじゃないか、と言われました」

 

そして彼女は、子どもを家に置いて仕事に行くことになります。

 

「桜子を見ているのは、自分を見ているような感じ」

(彼女は6歳の時に両親が離婚をして、最初は母親と暮らしていましたが、

母親はほとんど家にいなかったそうです。その後、父親に引き取られます)

 

話は少し戻り、平成21年8月2日、

楓ちゃんとお風呂に入っている間に、桜子ちゃんが家からいなくなる事件がありました。

 

「楓とお風呂に入って、お風呂から出た時に玄関が開いていて、

マンションの中を探したけどいなかった」

 

結局、交番で保護されていましたが、調書には「コンビニにいてる間にいなくなった」

と書いてありました。

彼女は頑なに「コンビニ」は否定していました。

 

そして、平成21年10月、彼女はインフルエンザにかかりました。

 

「お父さんと(別れた)夫に子どもを預かって欲しいと頼んだら、

急には無理だと言われました。

お母さんとは連絡が取れませんでした。5、6時間たってから連絡がありましたが、

その時、誰も助けてくれないのかな、と辛かったです」

 

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新聞記事によると、

 

「死刑も考えたが一瞬で死んで済ませるのではなく、子どもたちの苦しみを思って、

一生自由のない刑務所で罪を償ってほしい」

 

と言った夫ですが、実は、養育費を払っていません。

 

「『払いません』と言ったと、お母さんから聞いた。

払いません、とキッパリ言ったからびっくりした」

 

離婚の時に面会の話も出なかったそうです。

 

メールや電話のやり取りは何回かあったそうですが、

楓ちゃんの1歳の誕生日の時には、夫と夫の両親からは、メールさえもなかったそうです。

 

「会いたいもないし、彼もまだ若いから桜子や楓のことは、

なかったことにしたかったのかなと思った。

彼の家は田舎の方だし、近所の方とも接点があったから、

離婚した事は彼にとっていい話ではないから」

 

実際に目に見えたひどい事をしていなかっただけの話で、

桜子ちゃんと楓ちゃんをなかったことにしていたのは、彼らの方が先なのでは?

 

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平成21年12月8日、彼女は中区役所に泣きながら電話をしています。

 

「もう子どもは見れないから預かって欲しい」

 

区役所の電話番号は104で聞いたそうです。

 

区役所には「児相に電話した方がいい」と言われ、番号を教えてもらいました。

 

また、泣きながら児相に電話をすると、

 

「今まで辛かったですね。しんどい気持ちはわかります。一度来てください」

と言われただけで、具体的なことのやり取りはありませんでした。

 

「やっぱり、誰も助けてくれないと思った」

 

と彼女は感じました。

 

名古屋の児相は「電話の記録はない」と言っています。

それに対して彼女は、

 

「やっぱりなかったことにしたいの?と思う」

 

高校時代、お世話になった恩師にも電話をしています。

 

「子どもを殴った」

 

「先生は一度東京に来い、と言ってくれたけれど、

やっぱり先生には迷惑かけられないと、行けなかった」

 

こうやって悩んでいる間、彼女は男性の家へ泊りに行ったりしています。

 

「子どものことは?」

 

「考えないようにしていました」

 

「2人のことが思い浮かばないことはない。何してるかな?とか、

いろいろ考え出すとキリがないから、考えると同時に考えないようにしました」

 

「心配だからやめようとは思わなかったのですか?」

 

「それはいつも思っていました」

 

「なぜ、じゃあ?」

 

「そんなことも全て考えること自体が嫌だった」

 

報道では、彼女の男性関係だけを書いている記事がほとんどですが、

実は彼女は、中学1年で非行に走り、中学2年の時に集団リンチとレイプを受けています。

 

「男性とのSEXは、なかったらない方がいい。

会ったら求めてくるんだったら、断って無理やりとか面倒なことになる方が私には辛い」

 

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ある日帰宅すると、桜子ちゃんが水道を出しっぱなしにしていて、

部屋中が水浸しになり、下の階にまで漏れていました。

 

パニックになり、夜逃げ同然に、大阪に逃げました。

家賃も払わず、修繕ももちろんしていません。

 

そして、大阪のキャバクラに勤務することになり、

事件のあったマンションに住み始めました。

 

託児所はキャバクラが探してくれたそうですが、

なかなか見つからず、ようやく見つけた託児所に入りました。

 

しかし、その託児所は、子どもが泣いていてもほったらかしで、

迎えに行った時に桜子ちゃんが泣いてしがみついてきたので、

預けるのをやめにして、家に子どもを置いて出勤するようになりました。

 

「誰も助けてくれないと思ったから」

 

役所や夫、両親には、大阪の住所を教えていませんでした。

 

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実は彼女は、最初は育児をとても頑張っていました。

 

早くママになりたくて妊娠し、プレママ教室にも出席し、桜子ちゃんを出産した時は、

 

「すごくしんどかったけど、やっと会えたなって感じでした。

桜子を初めて抱いた時、私も何かに…何かわからないけど抱かれている感じがしました」

 

出産後は布おむつを使い、

 

「親が嫌いなものを子どもも嫌いになると聞いたから、

自分がバナナが嫌いだから、嫌いなバナナも食べるようにしました」

 

「子どもに対してストレスを感じるとか、そういうのは、出産した時から嫌だった」

 

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「家に帰ると、家のことを、桜子と楓を見るのが辛い。

桜子と楓が嫌いなわけじゃなくて、状況全てが嫌だった」

 

「とにかくその状況全てが嫌でした」

 

「桜子の2歳の時(誕生日の日)は離婚の話が出て辛い思いをさせて、

1歳はみんなで桜子が好きなキャラクターのケーキを頼んで誕生日、

そんな誕生日を本当はしたかったのに、そんな状況もすごく嫌でした」

 

「外で遊ぶ時は子どもたちのことを考えません。

考えないようにしていました。

考えるのが嫌で考えを消すような感じ」

 

「(子どもの携帯写真は)考えるのが嫌だからわざと見ないようにしていました」

 

「なぜ帰らなかったのですか?」

 

「帰らなきゃいけないとか、そんなこと考えること自体が嫌だった」

 

「帰りたくないんじゃなくて、考えたくなくて、

考えたりしたくないから、違うことを言って、意識的に考えないようにしました」

 

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彼女は外出する時にガムテープをリビングの扉に貼っていました。

 

「桜子が出ていったこともあるし、

トイレでタッパーで水遊びをしていたこともあるし、

水道の水漏れ事件もあったから、それを防ぐために開けられないようにしました。

水を出したのは何度もありました」

 

冷蔵庫に物を入れなかったのは、名古屋のキャバクラ勤務からだそうで、

冷蔵庫の中の納豆やジュースで遊ぶので、中には何も入れなかったそうです。

 

その代わり、2食分くらいをコンビニで買い、

封を開け、ストローを刺し、置いていったそうです。

 

「通報されたのは知っていましたか?」

 

「知りませんでした」

 

「不在箋が入っていたのには気づきましたか?」

 

「紙は一度だけ見ました。5月くらいだったと思います。

電話をしましたが、休日で電話をしたら長いこと誰も出なくて、

出たら男の人で、なんとなく嫌で、私の方から電話を切りました」

 

6月9日、最後に帰った日、

 

「2人はいつもみたいに私のこと、手を振って、ハイタッチをして、バイバイはしてくれた。

でもそれが最後になるとは考えていない」

 

「死んでしまうことはわかっていましたか?」

 

「…(うなずき)…」

 

「(家に帰らない50日間)考えが浮かばないわけはないから、上から塗りつぶす、みたいな感覚。

子どもがいなかったら自由になるという感覚はない」

 

「今、こういう結果になって思っていること、考えていることは?」

 

「うまく説明できません」

 

「子どもたちが生活の邪魔になって、いなくなった方がいいと思っている?」

 

「それは違います」

 

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第4回公判に続きます。

 

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上記は、法廷でメモを取って、まとめ直したものです。

表現違いや、答弁の前後はお許しください。

 

彼女は、報道にあるように、浮気が原因で離婚していますし、

借金もしていましたし(いい奥さんでいたかったから、らしいです)、

男性の家に泊まり歩いていました。

そして、桜子ちゃんと楓ちゃんが死に至りました。

 

そのことを擁護するつもりは一切ありません。

そのことに対しては、きちんと罰を受ける必要があります。

 

しかし、それだけで彼女を評価し、この事件を終わりにするべきではないと思います。

彼女を裁いても、彼女がそうなるに至った理由は社会に残ったままです。

 

そこを考え、追及していかないと、2人の命は救われないような気がしてなりません。

辻 由起子