ポツダム宣言 | 素直なこころでつぶやこう

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 天皇の御心

 

 原爆が投下され、昭和天皇は共同宣言(ポツダム宣言)を受諾するとし、終戦の詔書を発せられた。

 詔書の内容はこれらだ。

 「敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、残虐たる被害がどこまで及ぶのか全く予測ができないまでに至った。なのに、まだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受託するよう下命するに至った理由なのである」

 昭和天皇は、広島と長崎に原爆を投下され、すぐに戦争終結を決断されました。八月十四日付で終戦の詔書を発し、国民には翌日ラジオ放送を通じてそのことを知らされました。

 昭和天皇はその時、何を思ったのでしょうか。

 またそれから、のち昭和二十年九月二十七日、連合軍最高司令官であるマッカーサー元帥を連合国軍総司令官総司令部(GHQ/SCAP)へ訪ね初の会見を行いました。その時の会見で昭和天皇は「自分はどうなってもいいから、国民を飢えさせないでほしい」と述べたことは多くの人々が知っているでしょう。もし、この時に昭和天皇が我が身だけを守ろうと私利私欲を見せていたら、どうなっていたのでしょうか。もしかすると、国民の支持を失い天皇制は崩れていたのかも知れません。

 今もなお、皇室を重んじる国民性は残っているのです。

 戦争に負けポツダム宣言を受諾し、連合国軍総司令官総司令部(GHQ/SCAP)による占領統治が始まりました。

 昭和天皇はここに国としての形を維持できれば、善良なるあなたがた国民の真心を拠り所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしも誰かが感情的になりむやみやたらに事件を起こしたり、あるいは仲間を陥れたりして、社会を混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、最も強く警戒するところであったのではないでしょうか。

 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき我が国の不滅を確信し、責任は重く、復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。と昭和天皇は国民全員を信じたのでしょう。我が子(国民)を疑うことはしなかったのでしょう。

 今から千六百年前「仁徳天皇」は、民家のかまどから炊事の煙が立っていないことに気付き、「民はみな貧しい。三年間租税と労役を免除せよ」と命令したという「かまどの煙」という逸話がある。天皇は民の幸せがなければ我が身、国の幸せはないと考えていたのでしょう。