立冬(冬の季語) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

今回取り上げる季語は立冬で言葉通り冬の季語となります。

 

立冬とは二十四節句の一つであり、また時候の季語でもあります。

 

 

一般に時候の季語は他の分類、例えば植物、動物のような画像がありません。

 

そのため、時候の季語は画像のあるものとの取り合わせが常套手段です。

 

 

もちろん画像のない抽象的のものと取り合わせも可能ですが、時候という雰囲気、感覚の季語と抽象的なものを取り合わせると、その俳句を見た人にはその実体が頭に浮かばず、漠然とした雰囲気だけでつかみどころ無く、なんとなくそうだよねーという句になってしまいます。

 

 

では、いつものように歳時記の例句から立冬という季語についてみていきたいと思います。

 

 

また、立冬とよく似た季語である初冬との違いについても見ていきたいと思います。

 

例句を見ていて感じたのは「立冬の」で始まる一物仕立ての句が多いということです。

 

「立冬や」で始まる取り合わせの句もあるにはあるのですが少数派です。

 

一方、初冬の句は取り合わせと一物仕立ての句が半々のように見受けられます。

 

立冬と初冬の違いは立冬はある特定の日を指しているため、その季語のみで何を指しているのか意味があり独立して使いやすいと思います。

 

 

初冬は漠然としたある時期(近頃寒くなってきましたという感覚でしょうか?)その漠然としたものを説明するための風景や物と組み合わせにしないと読み手にはわかりずらいので一物仕立ての句が多いのではないかと思います。

 

さて、話が横道にそれてしまいましたが、立冬の本質について見てゆきたいと思います。

 

歳時記には厳しい寒さを迎える緊張感が感じられる季語であるとの言葉通り、冬への備えを詠んだ句や日増しに日差しが弱くなり寒さ、淋しさがつのる句が見られます。

 

 

また、冬の厳しい寒さを直接詠んだものではないのですが、立冬という季語が入ることによって厳しい寒さがやってくるのだなと思わせる句が多くありました。

 

自分が作句するとついつい冬の風物詩を詠みこんでしまい、句が予定調和で終わってしまいがちですが、季語を生かすとはこういう使い方をするのかとまだまだ自分の未熟さを思い知らされます。

 

 

一方で例句には厳しい季節を迎える緊張感とは一線を画す明るい句も少数ありました。こちらの句は同じ冬の季語である小春が合いそうな句なのですが、そこへ立冬を使うという発想に驚きました。

 

 

確かに立冬といってもまだ寒さはそう厳しくなく、ちょっとぽかぽかする日もあるので、こういう考え方があってもよいと納得しました。

 

 

立冬という季語の本質は歳時記の説明にある通りだと思いますが、それ一辺倒では句の広がりがないなと思います。

 

厳しい寒さが来る前のまだ暖かさの残るものが思いつけば立冬を使った句でよいものができそうな気がします。

 

立冬や核のボタンは押すべきか

(俳句ポスト投句)

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。