では前回の続きのお話をしたいと思います。
さらに敷地内を歩いてみると何か大きな構造物が地中に三分の一ほど埋もれているのに気付きました。
これは一体何なのか気になってあたりを見回すと次のような掲示板ありました。
最初に見たときは何なのかさっぱりわかりませんでしたが、この掲示板を読んでこれがかつて浦上天主堂の上部に設置されていた鐘楼が原爆によって破壊された残骸であることがわかりました。
先ほどの画像を見た時には想像できませんでしたが、この残骸が埋もれている土の中にはかつて浦上天主堂で高らかに打ち鳴らされていた鐘が地中に埋もれているのです。
また、この掲示板を読み進めてみると浦上の地は豊臣秀吉が出したキリシタン禁教令の時代からカトリック信者の多い地域であり、かつ原爆の爆心地にほど近いこともあり、多くのカトリック信者(信者約12000人の内8500人)の方が亡くなったことが示されています。
原爆を投下したアメリカ合衆国はキリスト教でもプロテスタントの信者が多い国です。
プロテスタントとカトリックという宗派の違いがあるとはいえ、多くのキリスト教徒が住む地域に原爆を投下してキリスト教徒を多く死傷させたことを原爆を投下した当事国としてどう考えているのでしょうか?
以前に長崎大司教館が大浦天主堂近くからこの浦上天主堂近くに移ってきたと書きましたが、この掲示板を読んでこの地域はカトリック信者の方が多く、そういう由縁で長崎大司教館が移ってきたことにも納得しました。
夜も更けてまいりましたので続きは次回に譲りたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。





