今回は夏の季語「浴衣」を取り上げます。
歳時記では生活に分類されています。
歳時記には浴衣は部屋着や普段着として着用されているとの記述がありますが、昨今は浴衣といえばお祭りや花火を見に行く時にしか着用されていないので、歳時記の感覚とは少しずれているところがあると思います。
近年は洋服感覚で簡単に着られる浴衣も開発され、また普段着、部屋着として見直されるのかもしれません。
さて、季語としての浴衣を歳時記から読み取ってみると、実に様々な風景、感情が読み込まれていました。
そして、それらが違和感なく受け入れられているように思われます。
なぜ、浴衣という季語はこんなにも懐が広いのかということを考える手掛かりとして、季語に含まれる感覚を見ていきたいと思います。
まず、視覚について、浴衣という実体があり、また様々な色、形があります。
次に聴覚について、浴衣の生地による衣擦れの音の違いや、帯を締める音も子供と大人では違いがあります。
嗅覚では保管していたときの虫よけの樟脳の匂いなどがあるのでしょうか。
味覚について、浴衣を着てお祭りや花火に行けば、夜店で買い食いして、あれがおいしかったね、あれはいまいちだったねなどの記憶があると思います。
触覚について、浴衣の素材(麻、綿、絹、合成繊維(ポリエステル等))により肌ざわりが変わってきます。
こうしてみると、浴衣には五感全てが内包されており、これが浴衣という季語の懐の広さの所以かもしれません。
実際に作句してみるとこの懐の広さゆえに、どう詠めばよいのか迷うばかりです。
襟足のほくろ誘う浴衣かな
(俳句ポスト投句)
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。