前例の無い余震、想定外の地震 | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

皆様ご無沙汰しております。


さて、今回は熊本地震についてお話させていただきます。


2016年4月14日から熊本県内を震源とする最大震度7の地震が相次いで発生して3ヶ月が経ちました。


この地震でお亡くなりになった方のご冥福とお怪我をされた方の一日も早いご回復をお祈り申し上げます。


私自身も微力ながら被害にあわれた方への援助をと思い義援金を送金させていただきました


さて、気象庁によるのデータベースを見ると、熊本地震では今日までに震度1以上の余震が1900回以上発生したと発表されています。




この余震数は同じ直下型地震で、いままで最も多い余震を記録した中越地震を上回る数だそうです。


そして、余震数の推移を予想する気象庁がこの余震の多さは「前例が無く」今後の余震の推移や大きさを予測できないと発表していました。


私はこの「前例が無く」のことばを耳にした瞬間に2011年3月11日に発生した東日本大震災後に嫌というほど耳にした「想定外」という言葉を思い出しました。


私は理系の大学を卒業し、その後は長らく技術畑を歩んできました。


その仕事の多くはこれから起こるであろうことを、あるときは理論で、またあるときは今まで人類が集めてきたデータや経験から予想し、それに対する備えや準備をすることでした。


こういう仕事を生業にしていたので、私は世の中の多くの事象(もちろん全てといいませんが)は理論やいままで人類が蓄積してきたデータで予測可能だと思っていました。


ただ、地震発生の予知は難しいことはまえまえから専門家の話で聞いていたので、1000年に一度と言われる東日本大震災での「想定外」はまだ自分の中で納得できるところがありました。


しかしながら、その5年後に起きた熊本地震において、同規模の内陸で起きた直下型地震(関東大震災から兵庫県南部地震、中越地震など)で多くの経験値が蓄積され(内陸での地震なので断層の動きや地盤の強度等のデータが容易に取れ、蓄積できる)、当然予想可能であると思っていた余震でさえ、我々のまだ知らないことが起こるのだと知ったとき、内陸型の地震での余震が予想可能と思っていた自分の驕った考えに忸怩たる思いです。


さらに東日本大震災での「想定外」、そして今回の熊本地震での「前例の無い」という言葉を一般人ではなく、その道を極めた人たちが口にしたことで、この先に起こる地震について多くのことは予測できないのだと痛感しました。


東日本大震災の「想定外」、熊本地震の「前例の無い」という言葉の意味することは、我々は自分たちが思っているほど地震の事を知らない、そして気象庁や専門家が声高に言っていた地震予知や予測はただの驕りでしかなかった。


私にはそう思えてならないのです。


確かに昔の人々に比べると、現代の我々は地震に関してとても多くのことを知っていますが、それは地震という事象全体の極々僅かな事だけ知っているに過ぎず、そういうことを教えてくれたのが「想定外」であり、「前例の無い」という言葉なのです。


いま私が思うのは地震に対して考えられる限りの備えはしているつもりでも私の考えが及ばないことが起こるということを肝に銘じておこう。


そして、想定外、前例の無いことが起きたその時に「われわれだけではどうにもならないことがあるのだと悟り、ある意味達観して平常心を保ち得るような心の備えが必要なのだと」、東日本大震災、熊本地震を目の当たりにした後の心境です。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。