さて、前回の続きを始めさせていただきます。
前回ご紹介できなかった残り三つの建物は二階蔵、三階蔵、衣装蔵と呼ばれる建物です。
画像の左の角の一番手前、三階建ての蔵が衣装蔵、そして衣装蔵のすぐ後ろの窓の無い二階建てが二階蔵、さらにその後ろの一階部分が石造りでその上が白漆喰の三階建ての蔵(その後ろのビルと見分けにくいが)が三階蔵です。
衣装蔵は主に当主とその家族(勿論小西儀助とその家族を指す)の家財を保管する蔵で、建築面積は45.9平方メートル(14坪)の建物です。
二階蔵は当主の家族、そして住み込みの使用人など小西住宅に住む人々の食料品を保管していた建築面積52.1平方メートル(約16坪)の建物です。
三階蔵は家業である薬種問屋の商品(薬の材料、特に漢方薬の原料となる生薬)を保管していた建築面積45平方メートル(約14坪)の建物です。
前回のお話にあったトロッコがこの蔵から店舗まで商品や荷物を運んでいたのです。
コニシ株式会社がいままでご紹介した非公開の建物の内部を撮影した動画を次のアドレス(http://bond.co.jp/history/kyukonishi/index.html
)で公開しているので興味のある方はご覧になっては如何だろうか。
このようなハイカラで豪勢な暮らしをしていた小西家は谷崎潤一郎が昭和初期に発表した名作「春琴抄」のモデルであったと言われています。
私が初めてこの旧小西家住宅を訪れた時、船場の近代的なオフィスビルが立ち並ぶ中に突如現れたなんとも古風な木造建築を見た瞬間に自分がタイムスリップしたような感覚にとらわれたことを覚えています。
皆さんも一度この旧小西家住宅を訪れて、その目で実物をご覧になることをお勧めします。
あなたも私と同じようなタイムスリップの感覚を味わえるかもしれません。
さらに「春琴抄」をお読みになった方なら先の動画を見て、この建物を訪れられると、また新たな「春琴抄」の世界があなたの前に広がるかもしれません。
最後にこうして順調に商売を発展させた小西屋のその後について簡単にご紹介したい。
小西屋は大正14年(1925年)に株式会社小西儀助商店へご社名を変更し、薬種のみならず、工業薬品、化学製品の取り扱いも始めて、順調に業績を伸ばしていきました。
第二次大戦後には化成品の商社から合成接着剤「ボンド」の製造、販売会社として発展を遂げました。
昭和51年(1976年)にコニシ株式会社へと社名変更し、現在は東京証券取引所一部上場企業として現在に至ります。
皆様ももうお気づきかもしれませんが、コニシ株式会社が製造販売しているボンドがこちらです。
そう、小中学校の図工でお世話になった、黄色の容器に入った木工用ボンドを製造しているのがコニシ株式会社なのです。
いままでのお話はコニシ株式会社広報部より公開されています「旧小西家住宅のご案内」を参考にさせていただきました。
小西家住宅に関する資料を作成し、ホームページ上に公開しているコニシ株式会社関係者の方々にこの場をお借りして御礼を申し上げます。
そして、いままで長きに渡りこのお話にお付き合いいただいた読者の方々に御礼を申し上げてこのお話を終わらせていただきます。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。