海外でお会いした企業戦士(2) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

お待たせしました。

では、前回からの続きを始めさせていただきます。

 

その夜もゲリラの襲撃があり、いつもは政府軍がすぐ追い返すのですが、油断したのか不意をつかれたのか、その日に限って政府軍のほうが押されて、いつもは追い立てる側の政府軍がゲリラに追い立てられる形になってしまい、民間人のいる建設現場まで後退して来ました。

 

 

押され気味の政府軍兵士はゲリラ側の銃弾に対する遮蔽物を求めて宿舎内まで入り込み、そこからゲリラへ反撃の発砲を始めました。

 

 

いつもは遠くで聞いていた銃声がほんのすぐそこから聞こえ始めてきました。

 

銃弾が風を切って唸る音がすぐそばで聞こえ、こんな至近距離で流れ弾が当たれば命はないんだろうなと思われたそうです。

 

その方が赴任する前に日本である程度危険なところとは聞いていたが、こんな身近で命のやり取りをする場面に遭遇するとは思ってもみなかったとおっしゃっていました。

 

確かに安全と水はタダだと思っている日本人ならそう思っていても決しておかしくはありません。

 

そして、その方がインドネシアに赴任されていたのは1980年代で、日本はバブルの享楽にうつつをぬかしていた時期です。

 

 

幸運にも、政府軍の必死の反撃でゲリラを退けることができたそうですが、宿舎がゲリラに包囲され、政府軍兵士が宿舎内まで後退したときは、宿舎にいた方々は死を覚悟していたそうです。

 

こんな貴重で重いお話を笑いながら私にしてくださった、この方の精神的タフさはお話をしてくださった方とほぼ同年代となったいまの私が真似しようとしてもできないなと改めて思います。

 

平和な日本国から遠く離れ、命の危険にさらされながら仕事をされている日本人がいることを身近に思い知らされた、まだ社会人になって間もない世間知らずの二十代の思い出です。

 

 

この方とはもう音信不通になってしまいましたが、今はどうされているのでしょうか?

 

その方が無事引退され、昔こんなことがあったんだとお孫さんに思い出話をされながら、悠々自適に過ごされていることを祈りつつ今回の筆を置きたいと思います。

 

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。