前回に引き続き「国産ビール発祥の地」についてお話していきたい。
大阪で作られた日本人の手による最初のビールの銘柄である「渋谷ビール」の商標が次の画像である。
老婆心ながら銘柄名は「シブヤ」ではなく「シブタニ」である。わたしもこの文章を書くまで「シブヤ」と勘違いしていた。
ラベルに「OSAKA」の名前が見える。
このラベルのついたビールを飲んだ人々(主に外国人らしいが)が大阪の町を闊歩していたんだと思うと感慨深いものがある。
さて、この石碑のある場所に話を戻すと、石碑と説明板それと三角形の柵に囲まれた空き地に木が生えているだけで醸造所やそれに関連する施設の遺構はなにも残っていない。
しかし、この場所に立っていると新しいものや技術を吸収し、さらによりよいものを自分たちの手で作り出そうとする明治期の先人達の心意気が感じられる。
そして、いまを生きる私たちにその精神を忘れずにいてほしいと語りかけているような錯覚を覚える。
ひっそりと石碑は語る心意気
難波の町にやってみなはれ
「やってみなはれ」はサントリー創業者の鳥井信治郎の言葉である。
私はこの「やってみなはれ」がとても好きだ、やろうかやめようか迷った時、新しいことを始めようとした時にはこの言葉を思い出して前に進んできた。
もちろん失敗することもあるがやってみないとわからない、その精神が大切だといつも言い聞かせている。
そして、このブログを読んでいただいている数少ない読者の方々にこの言葉を贈りたい。
あなたの街にもこのような隠れた、忘れられた近代化産業遺産がひっそりたたずんでいるかもしれない。
あなたも探しにいってみられてはどうだろうか?
ちなみにこの石碑が立っている場所の近くにある「堂島麦酒醸造所」が醸造しているビールが「北新地ビール」というブランドで販売されているらしい。
この石碑を訪れる機会があればそのビール飲みながら歴史に思いをはせるのも一興かもしれない。
3回にわたってこの話題を読んでいただいた方に感謝してこの話題を終わらせていただきたい。