今日は

もっと詳しく

桑原エリコの自己紹介をします。

 

 

 

 

 

 

1981年4月。

 

私は

青森県のある町で

生まれました。

 

しかし

私が生まれた直後に

両親が離婚。

 

私は生後40日ほどで

実の母と生き別れてしまいます。

 

父が仕事の都合で

遠くに住まなければならなかったので

私は父方の祖父母の元で

育てられます。

 

それから3年がたち

父が再婚。

 

私は

父と新しいお母さんの元に

引き取られます。

 

しかし

私と新しいお母さんとの

折り合いが合わず

結局私は青森に帰ることになりました。

 

2年ほどいっしょに暮らしましたが

私は幼少ながらに

ここは私の居場所ではないということに

気がついていたんです。

 

私の憶測ですが

父もそれに気がついていたんじゃないかと。

 

本当は自分の手で娘を育てたい。

 

けど

なかなかうまくいかないなって・・・。

 

私はお父さんっ子なので

本当は父といっしょに暮らしたかったです。

 

でも

新しいお母さんは

嫌気がさしていたと思います。

 

私が同じ立場なら

わかる気がするんです。

 

だって

自分の産んだ子じゃないんだもの。

 

自分が産んでいない他人の子を

自分の子のように育てられるかどうかなんて

私にも自信がありませんから。

 

でもそれを

2年間もがんばってくれた継母には

今でも感謝しています。

 

 

 

 

 

ある日のこと。

 

何の用事があったかは

私も覚えていないんですが

祖母が青森から遊びに来ていたのです。

 

その時の

祖母が帰る日の朝

私は決意しました。

 

 

 

おばあちゃんと

いっしょに

青森に帰りたい。

 

 

 

当時、私は5歳。

 

この決断は

5歳の私にとっては

とてつもなく大きな決断でした。

 

そして私は

勇気を出しつつ

ダメ元で父にこう伝えます。

 

 

 

「お父さんあのね

 私、おばあちゃんといっしょに

 青森に帰りたい」

 

 

 

父はそれを聞いた瞬間

ショックを受けたようで

泣きそうになったのを

今でも覚えています。

 

でもきっと

父も何となく私の気持ちを

わかっていた感じだったから

父は了承してくれました。

 

父自身も

葛藤の中にいて

苦しかったんじゃないかな。

 

父は悲しみながらも

私を送り出してくれました。


(お父さん、本当にありがとう)






そして私は

赤ちゃんの頃から住んでいた

青森の祖父母のもとに帰ります。

 

家で待っていた祖父は

笑顔で歓迎してくれました。

 

そして

久しぶりに青森の家でくつろいでいた時

その家の間取りや壁などを見て

私はこんなことを思っていました。

 

 

 

「そうそう、これこれ♡」

 

「やっぱりいいなぁ、この雰囲気♡」

 

 

 

と、言葉にできない何かを

心の中で感じとっていたのです。

 

その時からかなぁ

 

 

 

「感じている自分」を

ハッキリと自覚したのは。

 

 

 

もちろん

父のもとで暮らしていた時も

いろいろ感じ取ってはいました。

 

でも

ひとつひとつを感じて

いちいち噛み締めてる場合では

なかったんです。

 

しかし

青森に帰った時の私は明らかに

「感じている自分」を自覚していました。

 

だけどあれが

「感じる」ということだとは

わかってなかったなぁ(笑)。

 

私が育った青森の家は

なだらかな丘の上にあって

家の周辺はほぼ畑。


その向こうには

森林が広がっていて

自然豊かで絶景な場所だったんです。

 

一番近いご近所さんも

ちょっとだけで離れた場所に

たったの1軒。


そんな広々とした大地と

美しい絶景パノラマにかこまれて

のびのびと育ちました。

 

そうですねぇ例えるなら

「アルプスの少女ハイジ」のような

幼少期でした笑

 

 

 

 

 

そんな「感じる」を知った私は

 

 

 

子どもながらに

五感を研ぎ澄まして

生きるようになりました。

 

 

 

家の窓から見える

豊かな自然と美しい季節の移り変わり。

 

おばあちゃんがご飯をつくる音。

 

そよ風とともに香る畑の土の匂い。

 

居間のこたつで食べたみかんの味。

 

家の庭にある桔梗の花の柔らかさ。

 

当時の祖父母は

そこそこに忙しくしていて

日中のほんとんどは

私はひとりでいることが多かったのです。

 

だけど

「五感で感じる」という遊びを

常日頃から楽しんでいたので

 

 

 

遊んでくれる人がいなくても

全然寂しくなかったのです。

 

 

 

むしろ

そんな孤独な時間が私のことを

私独自の幸せの世界に

いつも連れて行ってくれました。

 

だから

両親がいない

ひとりぼっちな幼少期でしたが

めちゃくちゃ幸せでした。

 

もちろん

両親といられなかったことに関しては

寂しくなかったと言ったら

嘘になりますけどね(笑)。

 

 

 

 

 

このように私は

幼少期から孤独でいることが

とっても大好きでした。

 

自分で言うのもなんですが

呼吸をするように

孤独を選ぶ子どもだったんです。

 

人と話せないわけでも

人が嫌いなわけでもなく

ただただ純粋に

孤独が大好きだったんです。

 

その性格は大人になった今でも

まったく変わることがなく

大好きな夫や子どもたちがいても

孤独になる時間を自ら確保しています。

 

 

 

手帳時間で使っている

ロイヒトトゥルムのレッドA5と

PILOTのカスタムヘリテイジ♡

 

 

 

しかしなぜ

私はこんなにも

孤独を愛するのかと言いますと

 

 

 

孤独になると

もうひとりの自分の声が

自分の内側から

聞こえてくるからです。

 

 

 

私はそのもうひとりの自分の声を

孤独の中で聞き続けていたいのです。

 

もうひとりの自分とは

「内側の自分」とか

「本当の自分」ということなんですけど

もっと正確に言うと

 

 

 

自分が本当に

求めている幸せを

知っている自分。

 

 

 

なんですよね。

 

私は

それを知らずして生きていくのだけは

ゴメンなのです。

 

だから家族がいても

孤独を大切にするライフスタイルを

貫いていきたい。

 

そしてそれが

家族円満を叶える秘訣でもあるのです。

 

 

 

続く。