〇〇は日本古来のものじゃないですか・・・・

という言う人がいる。

 

たとえば、白無垢での神前結婚式。

白無垢での婚礼そのものも、古来から人々に選ばれてきた婚礼衣装ではない。

 

農学部から理学部へ道を変え、何年も経ってから生活美学に専攻を変え、

所属したのが家政学部の被服学科だった。

 

博士論文は女性のセルフディスプレーに関する研究。

その中の一つの項目として結婚衣装を調査し、

白無垢での婚礼が、極めて稀有なものであることを指摘した。

 

庶民の婚礼は、汚れのない普段着とか、いわゆる一張羅だった。

時代が進むと、「髪結屋さん」「貸衣装屋さん」が登場して振袖が選ばれるようになる。

 

白無垢が日本古来の花嫁衣装、というのは一般的にはあてはまらない。

このことはまた別の機会に書く。

ついでに言うと、

神前結婚式も「古来」の結婚式ではない。

このこともまた、実に興味深いので別の機会に。

 

つまり、「古来」に関して怪しいことはたくさんある。

 

箸置きもその一つである。

奈良時代、大陸から伝わった耳土器(みみかわらけ)というのが

箸置きのルーツだと言われている。

耳の形をしていて、高さがある大きなものだ。

匙も置けるサイズである。

だが、これが一般庶民の食事の場面で使われた記録はない。

 

神事や限られた階級の人たちだけの道具であった。

そしてその時代以降は見られない。

 

箸置きは、明治に近い江戸時代まで登場しない。

 

なぜか。

 

日本人は、複数が囲むテーブルで食事をしてこなかった。

個々人用の膳が使われてきたのだ。

 

この膳にはいろいろな素材や脚の形、装飾があり、

階級を示す装置にもなっている。

とにかく、どの階級であっても、個々人用のお膳であった。

 

その縁は少し持ち上がっており、

そこに箸先を乗せることで、膳の表面を汚さずに済んだのだ。

 

個々人の膳からちゃぶ台になり、大きなテーブルを囲む歴史の中で、

箸を置く場所がなくなった。

見方を変えると、暮らしの西洋化にともなって生まれてきた文化ともいえようか。

 

と同時に、各地に発達した陶磁器の産地で

箸を乗せる小さな道具が作られるようになった。

 

それが今の箸置きである。

 

懐石を教えてきた母の時代から、

わが家にはとんでもない量の箸置きがある。

写真はその一部。

 

季節を告げるもの、

食器や料理に合わせるもの、

行事用など、

コレクションとして片付けたり眺めるのは実に楽しい。

中華料理用、韓国料理用な度に加え、

ナイフやフォーク用の長いレストもあるので、

大変な量がわが家にはある。

 

箸置きを新たに買う人にアドバイスするなら

季節のモチーフのものより、

年中使えるシンプルなデザインがいい。

縁起ものとしては、瓢箪型がいい。

紛失を避けるために、ある程度のサイズ感があるものがいい。

 

食卓を彩るフィギュアとして、

箸置きは実によい仕事をしてくれる。

 

だが、

選び方次第で、

せっかくの料理や食器の格が下がることがあることを留意したい。

 

真行草、という考え方から言えば、

箸置き、そのものが、「真」の存在ではないからだ。

 

箸置きは、折敷を使わなくなった時点で生まれた便利な道具である以上、

日本の食空間にとっては「真」にはなり得ない、と、私は考える。

 

日本の、古来の、というのであれば、

間違いなくそれは「膳」である。

脚のない縁の高い「折敷」もその同類と見よう。

 

膳には箸置きいらない。

 

箸置きコレクターとしては今後も増やす予定だし、

「真」の食卓など、日々の暮らしにはないのだから、

大いに箸置きを楽しみたい。

 

ただ、

 

なんでも「古来の・・・」とか

「日本の文化として・・」と言うのはどうかしら、という

老婆心、いや、ちょっと大真面目な意見を書いてみた。

 

大学の食生活論の講義が今年ももうすぐ始まる。

若い学生さんたちは、箸置き、そのものを知らない可能性もあるが、

日本の食卓を、栄養と健康という視点以外から論じる授業をしていこう。

食の周辺、が私の指導の原点であり、期待されるところだと思っている。

 

家庭懐石という母が大切にしてきた思いや技術も、

少しずつこの欄に書いていこうと思う。