最近、瞑想を習慣にしています。

 

ふと思いついて、はじめてみたことですが、

なんとなく瞑想によって

(こんな状態になれたらいいな)と思っていることがあります。

 

そのひとつは、とても抽象的なのですが、

こころが自由な状態でいること。

 

「こころが自由な状態」というのは、

自分の感情をそのまま表現できて、

自由を感じられている状態。

 

自由なこころでいると、

自分がよくわかって、

生きるだけのお金、

周囲の人、

健康などの現実の環境が

自分らしく整ってゆく。

という流れがあるように思います。

 

例えば必要なお金は

その人の生き方次第でかわる。

たくさん必要な人も、そうでない人もいる。

 

それが十分だと感じるか、

満足できるかどうかは、

その人の「願い」と「らしさ」がリンクしているか

と関係があるように思います。

願い↔らしさ

 

他人の生き方のまねをしたり、

他人と比較したものさしで、

人生の選択をしていると、

そのふたつは「リンク」せず、

かえってかけ離れてしまう。

そのギャップが「不幸感」を生むのでは?

 

私も、時々、

自分らしくない選択をした時に

(これは他人のものさしかも?)

と思うことが、あります。

 

特に若いころは、そういうことが多いですね。

学歴や年収で人生が決まりやすい

世のなかですから。

 

年をとったら、

そういったものさしをどんどん捨ててゆく。

心を開放し、進むべき道が選べる、

そんな目を研ぎ澄ますとよいのでは?

と思っています。

 

それには、「瞑想」が効果的かも!?

と感じているところです。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

公園の早咲きの桜。

一本だけ燦燦と咲き誇って楽しそう。