こんにちは、こでまりのつぶやきです。

 

ヨガの教えの中に

「執着のない人は、罪によって汚されることはない。

蓮の花が水に汚されないごとく・・・」

という言葉がありました。

 

蓮はインドの国花で神聖な花です。

 

池の水は泥で汚れていようとも、

水面に顔を出す花は泥などつかず、

どれも美しい姿で現れるため、

清らかさの象徴として愛されています。

 

毎年庭の池で咲く睡蓮がまさにそんな感じなのです。

お花もはっぱも、水滴をはじいて、

汚れているのはひとつもない、つやつやなんです。

蓮の花のように、

内側には純粋なものが存在していることを忘れないこと。

 

ふだんの生活では

いろいろなことがおきますから、

悲しんだり、よろこんだり、

気分も上がったり、下がったりにで

それらに翻弄され、

忘れがちですが、

心の奥にある純粋な存在がある。

 

その部分にアプローチして

つながってことが

大切であることを教えてくれます。

 

もともと生まれたばかりの時は

誰しも愛され、満ち足りた存在だったと思います。

 

 

産まれたばかりの時、

何かに不安になったり

誰かを不審に思ったり、

軽蔑したり、畏れたり・・・

そういう感情はもっていなかった。

 

そんな純粋な存在であったこと、

そして今も私たちの内側には

それが存在している、ということ。

 

その存在

愛されて満たされている自分のコアな部分を

思い出すことができたら、

日々さまざまなことを経験して辛くとも、

それらを解消するほどの、

安らぎや癒しになるのではないでしょうか。

 

ヨガの哲学を読んで

「自分の本質を知る、出会う」ということは

そういうことなのかな、と思いました。

 

それには、人それぞれに適した方法があるのかもしれません。

一つの方法として、

ヨガによる瞑想は効果的なのではないかと思います。

 

お読みいただき、ありがとうございました。