わたしの引きこもりだった思春期に共存してくれたバンド、筋肉少女帯のことを書きます。

特にオーケンはまるでわたしのクローンかと思うほど共感することしなくて、いつも彼の言葉とか詩に沈み込むことができました。

オーケンの書く文章は特に誰かを励ましたいとか助けたいとかそういうものが目に見えません。

だけど、弱くて脆くて壊れそうな人間の心を理解していて「そうだ、今わたしはそう思っている」という感情を引き起こしてくれます。

特に好きなのが『蜘蛛の糸』です。この曲の歌詞で好きな部分が。

 

同じ会話に夢中で同じ調子で笑って

くだらない人達の中で僕は貝のように黙った

 

ってところです。

思春期の曲で当時14歳だったわたしはとても心に響いたのですよ。

自分の姿が消えて初めてみんな自分に気付いてくれるんだって言いながら、燃やしてやるって叫ぶところとか。

この曲には第二章もありまして、こちらの方が狂気じみてる。

でも、とても気持ちがわかる自分が怖いです。

クラスの女子で一人だけ気になる女の子がいて、その子がいるせいで自分は生きていかなきゃいけないから、好きな人を殺そうっていうなんともまあすごい発想なんです。ここまで極端じゃなくても、人を愛すると自分が壊れていくような気がしてます。振り返るとどうしてあんなことをしたのだろう、とか、どうして傷つけたのだろう、裏切ったのだろう、泣かせたんだろう、嫌われるようなことをわざわざしたのだろう。

全部、狂気。

愛情が歪んだ結果です。

だから、こういう人は引きこもってなきゃいけないんだけど、そういうわけにもいきません。

恋愛をしていて「キラキラハピネス」になれる人は少なくなくて、たくさんいるのだけど。

自分は(多分オーケンも)そんな風になれないから羨ましい。それが、曲の中で言えばクラスの中で同級生がキラキラハピネスであり、自分は違う、苦しいというような状況で、そんな中で好きな人を見つけて、振り向いてくれるわけないって思う反面、嫌われてもいいから自分を知って欲しいという感情もあって。

でも、そんなことしてる間に時間は過ぎて行く上にキラキラハピネス側にいる好きな人を見ていたら、どんどん自分との世界の違いに焦りを感じて、その気持ちが憎悪になり代わる。キラキラハピネスにいなければ、好きな人は自分のことを見てくれるのか、と言われればそういうわけじゃないと思います。

でも、と思うのは普通だと思うの。でも、それが殺すって発想はあれだけど。

好き過ぎでわけがわからなくなる感覚は驚くほどわかる。わかりすぎて胃が痛い。

 

ちなみにオーケン、作家でもあり、わたしの最も好きな作品『グミチョコレートパイン』

こんな感じの3部作です。

思春期から、ちょっと大人になるあの日までを描いています。

何もかもがうまくいくわけじゃないし、叶わないことや、うまくいかないことのほうが多いけど。

でも、手を差し伸べてほしい。そんな自分を愛して欲しい。

 

では。

 

 

 

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いつか魚も溺れる(オウンド版)