激動の一週間に…なるの??
顔さんより👇
おはようフレンズ🐸
12月15日 月曜日
東京の天気 晴れ☀️ 14/4℃
ジェームズ・アール・“ジミー”・カーター・ジュニア(1924年10月1日 - 2024年12月29日)は、アメリカ合衆国の政治家。同国第39代大統領(在任:1977年1月20日 - 1981年1月20日)。2002年12月にノーベル平和賞を受賞した。歴代米国大統領1位の長寿記録保持者であり、かつ唯一のセンテナリアンでもあった。
就任式の後、議事堂からホワイトハウスまで歩いて就任パレードを行った初の大統領である。このパレードが非常に好評であったため、その後多くの大統領がこれに倣っている。
カーターは世論調査のデータを盲信する傾向があり、ホワイトハウスに専属の調査員を常駐させるなど力を入れた。しかし、集計ミスの結果(「国民はアメリカの将来を悲観視している」というデータ)を真に受けて緊急テレビ会見を行い、支持率を急落させたこともあった。このころには、トレードマークであった笑顔もあまり見られなくなっていた。
内外政策の度重なる失敗、特にイランアメリカ大使館人質事件への対応の拙さによって国民の支持を失い、1980年アメリカ合衆国大統領選挙では共和党候補で元カリフォルニア州知事のロナルド・レーガンに選挙人投票で10倍近い差を、一般投票でも10ポイント近い差をつけられて敗北し、1期4年で政権の座を去った。
CIAによる情報収集能力の低下や、軍事プレゼンスの低下などがきっかけになり、イラン革命やその後のイランアメリカ大使館人質事件を防げず、人質救出作戦「イーグルクロー作戦」にも失敗したことから、保守派から「弱腰外交の推進者」と言われることになった。イランにおけるアメリカ人の人質が解放されたのは、事件から実に444日後の1981年1月20日であり、皮肉にもこの日はカーターが後継のレーガンに政権を譲り、ホワイトハウスから去った日でもあった。
2代前のニクソンと1代前のフォードの中華人民共和国接近政策を受け継いで中華民国(台湾)との断交を決定し、1979年1月1日に国交を樹立した。同月に鄧小平がアメリカを訪問し、カーターと会談している(ただし、カーター自身はニクソン以降の歴代アメリカ合衆国大統領の中で唯一訪中していない)。
激動の1週間の始まりです。
心穏やかに暖かい場所にいてください🙏
