顔さんより

おはようフレンズ🐸
11月20日 木曜日
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イエス・キリストが十字架に架けられた理由は、宗教的・政治的・社会的な要因が複雑に絡み合っていた。イエスは当時のユダヤ教指導者が重んじていた律法解釈に異議を唱え、神殿体制を批判し、人々に神との直接的な関係を説いた。
「神はあなた方の中にいる」
しかし、このことは既存の宗教的権威を揺るがし、多くの民衆が『イエス本人の意志とは反して』イエスを預言者やメシアとして支持し始めたため、指導者たちは彼を危険な人物と見なすようになった。とりわけ、神殿で商売をしていた人々を追い出す「神殿清め」の行動は、宗教指導層にとって重大な挑戦となった。

一方、当時のユダヤはローマ帝国の支配下にあり、ローマは反乱の芽を徹底的に摘み取る政策をとっていた。イエスが大勢の民衆を集め、「ユダヤ人の王」と呼ばれる場面があったことは、ローマにとっても潜在的な脅威とみなされ得るものだった。ユダヤ指導者たちは腐敗した既得権益を守る為に、イエスを「民衆を扇動する者」としてローマ総督に訴え、政治的安定を優先してイエスの処刑を決断した。十字架刑はローマ帝国において反逆者に科される最も重い刑罰であり、イエスもその扱いを受けた。
また、当時の民衆はイエスに政治的メシアとしての期待を寄せていたが、イエス自身は非暴力や赦しを説き、内面的な神の国を語ったため、多くの人々の願望とは一致しなかった。そのため、イエスの逮捕と処刑の際、民衆から大きな抵抗が起きることはなかった。

キリスト教の神学においては、イエスの死は単なる政治的事件ではなく、「人類の罪を背負う犠牲の死」と理解される。イエスは人間の罪のために自ら命を捧げ、その後の復活によって罪と死に対する勝利を示したとされている。
イエスが十字架にかけられた背景には、宗教的権威との対立、ローマ帝国の政治的判断、民衆の期待と失望、そして後のキリスト教神学が見いだした救済の意味が重層的に絡み合っている。

イエス・キリスト本人は宗教を作るつもりはなかった。
弟子達がイエスの許可を得ずに、イエスの死後に勝手に作ったのがキリスト教だった。
そして腐敗したユダヤ教指導者と同じ事を繰り返した。
今、トランプ批判をしている者達の多くは、金に目が眩んだ薄汚れた者達だ。
これから何が起こるのか見てみよう。
この聖書の時代に。

良い1日をお過ごしください🙏