🎍 新年 🎍
🌸おめでとうございます🌸
如何お過ごしでしょうか。
年末年始、わたくしは「師匠」の手伝いで関東へ出掛けておりました。
正月と言う事で「別料金」を頂き、通帳を見てにやける感じでございます。笑
まぁ冗談ですが、道中「世の中」を見回して改めて「人間の面白さ」を感じました。
幸せに満ちた表情、この世の地獄を生きるかの様な表情・・様々です。
それぞれ、各々の「人生」がある。
何度も書きますが
昔のわたくし自身「年末年始」の世の中が浮かれ騒がしく、正月だ初詣だと楽しそうにしてる雰囲気が苦痛でした。
今でこそ「好き勝手、いい加減」に生きて来た「ツケ」なのは分かってますが、一緒に出掛ける様な人間関係も無く、お金も一切無い現状でした。
そのくせ、見栄やプライドだけは人一倍高く
当時は何故「自分がこの様な境遇に晒されてるのか?」は合点出来ませんでした。
起きて、働いて、寝るの繰り返し・・目標も目的も無く「生きてるだけ」の人生。
本当に面白く無かった
本当に生きるのが辛かった
(何で何時もお金が無いねん・・)
(何でずっと独りやねん・・)
(不幸の星の元産まれたんやな・・)
状況は違えど「似たような思い」の方、いらっしゃるのではございませんか?
その状況
「自身」が一番良く分かって居ると思う。
今、その瞬間、目の前の現実だけを見れば「わぁ大変やね」「苦労してるね」と他者には思われ同情されるかも知れないけれど・・
何故、その状況なのか?
何故、そう成ったのか?
実際の「真実」は、自身が一番良く分かってると思う。
表面を幾ら取り繕おうが、深層が同じなら同じ事の繰り返し。
ゴミを幾ら掃除し続けても、ゴミが涌き出る根本に向き合わなければ同じ事の繰り返し。
人は簡単な事には向き合い、其なりの対処対応は出来ます。目に見える形で変化しますし「時間」も掛かりませんから。
でもね
目に見えない深層、自身が知る「根本」に向き合う事が出来る人は少ない。
こんがらがった毛糸、釣糸の様なモノ。
先を切り落とすのは簡単ですが、「何故こんがらがった?」「何故何時も絡んでしまう?」と考えるのは「本気」に思わないと出来ない。
面倒ですし、時間も必要に成ります。
もしかすると一時的に「社会」から距離を置かなくては成らないかも知れないし、手離さなくては成らない「何か」も多々必要かも知れません。
変化を望む気持ちが「有る」=変えたい癖、習慣が「有る」のでしょう。
それらの事が原因で「今の状況」が在るのは分かって居る・・分かっちゃ居るが止めれない
止めれないから「変われない」、何時まで経っても何年経っても「同じ事」の繰り返し。
年末年始、「来年こそは! 今年こそ!」
その決意、もう何年目?
聞き飽きたよ
上記の話、過去の「わたくし自身」に投げ掛けた思いです。
今を変えたくて仕方無かった・・
けど、変われない・・
変え方が分からなかった・・
苦しい、辛い、空しい、やるせない・・
一切遮断
一般的には「極端」「病的」と表現されると思いますが、本当に苦しくて苦しくて「生きる事自体」がしんどい位「今」に対して苦しい思いで生きて居るのなら・・
昨日迄の全ての関わりを断ち切り、全てを手放した状況を「恐れてはいけない」と・・
わたくしは思います。
仕事も失いたく無い、人間関係も失いたく無い、昨日迄の自分のプライドや立ち位置も失いたく無い・・
小さな変化、些細な変化を望む程度の「思い」なら、それらを抱え、同時進行でも差し障り無いかも知れませんが・・
もし
胸が締め付けられる、精神が正常では居られない、苦しい、辛い、発狂しそう・・
善からぬ事を考えてしまう程、毎日「生きる事」がしんどいのなら・・
全部切る
その「選択」も間違いでは無い。
頼れる人、甘えられる人が居るのなら「恥も外聞」も捨て一時的にお世話に成れば良い。
その様な人が居なくても、可能なら生活出来るだけの「最低限」の環境だけ残し情報も人間関係も断てば良い。
それらすら「難しい」状況なら、わたくしはその様な経験が有りますから書きますが「野宿」する様な状況だって構わないじゃない。
死にはしない、現にわたくしは「今」こうして生きてます。
屋根が在る事、布団が在る事、仕事が在る事、ご飯が食べれる事、人と関われる事・・
改めて「当たり前」と思ってた事が、当たり前では無い事に気付ける・・感謝も出来る。
極端、大袈裟過ぎますが、行政役所に相談したって構わない。
それ程の覚悟、決意、思いが在って変わる。
親の涙する姿、家族の崩壊、子供に顔向けすら出来ない、友人知人を失う、家賃光熱費税金すら払えない状況・・
自分を殺したい、自分を消し去りたい・
そう考えてしまう状況に成った「原因」は、自分が一番知ってるだけに・・尚一層苦しい。
だとしたら
死ぬ気で「第2幕」を目指したら?
・・・
嵐は永遠には続かない、何時か必ず「晴天」の日が訪れます。
始まりが在れば、必ず終わりが来ます
光にが在れば、必ず影もセットです
誰にだって「苦楽」はございます。
只、その苦楽の深さ、濃度は確かに「人によりけり」なのは事実。
(幾ら何でも、苦し過ぎるやろ・・)
(何かの罰ゲームか、辛過ぎるやろ・・)
思ってしまう程の「逆境」もございます。
その時
内容はそれぞれ異なるのでしょうが、基を手繰れば「自分」に行き着く。
何故、自分なのか?
月並みな表現ですが
「あんただから、貴方なら、お前やから、自分やさかい・・」
内面、意識、エネルギーが語りかけてる・
解るやろ? 理解出来るやろ? この状況の意味真相が!?
向上成長にしか進まない「この世」の中に生きる「自分」への大きなチャンス、きっかけを無駄にしちゃいけない。
怪我や病気は「何らかの知らせ」と言われる様に、精神的な「苦しみ辛さ」も何かを知らせようとしてるに過ぎない。
自分の思い、判断、行いの最前線が「今の現状」と言うのなら、苦しみや辛さを通じ「何かを訴えて居る」のは確かだと思う。
その多くは
「考え方、捉え方が、少しズレてるよ」
それに気付き、冷静に落ち着いて自分が自分を見る、知る。
逃げなきゃいけない時も在る(回避)
戦わなきゃいけない時も在る(挑戦)
そして、ゆっくりで構わないから修正改善を意識して「これで良い。うん、これで良い」と、心が晴れ晴れする「気持ち」だけで歩む。
外から「自分」を見るより、自分の「内面」から外を見るイメージ。
大切な人、好きな人、又会いたい人を思い・
「良いよ、良い感じだよ自分」
「最高や、最高やんけ自分」
その様な気持ちで生きて居れば、少なくとも「苦しみのドン底、辛さの限界」の域は抜け出せる・・わたくしはそうでした。
偏り過ぎた「精神状態」に在る時、人生は乱れ「何らかの知らせ」を必ず現実を介し「意識」に投げ掛けて来る。
苦しみや辛さは伊達や気紛れ、嫌がらせでは無い。
更なる成長、新たな次元へと導いてくれる「登竜門」。
その景色、状況に諦め慣れて浸るのか?
新たな景色、観た事無い次元を知りたい?
やれますよ
出来ますよ
観れますよ
新しい景色、未だ見ぬ次元を✨
わたくしもやります。
皆さんも
がんばって (^_^)
「お節料理」頂きました。
ありがとうございます😊
誰かが必ず必要としてくれる、誰かが必ず「見てくれてる」・・貴方を。
貴方も、誰かの幸せを思い、誰かの幸せを願い生きて居れば大丈夫。
✨イケイケ~ !(^^)b✨