「洋洋」 | KODAMA814の手帳 再出発応援

KODAMA814の手帳 再出発応援

素晴らしかった! 

最後に思える人生を。

自分の意思で動ける間は「困難」「苦難」「快楽」「愉快」全てを受け止める。

世の中に影響されずに「自分の道」を歩いて行ける術を実践したいと思っております。

(^_^)


職場に「新しい人」が入りました。

有難い事に「過去」を素直に晒しだしてくれて、「心の部分」話も打ち明けてくれました。

直感的に「あっ?  似たような生き方をしてるな」と思いました。

案外多くの方は自己否定、卑下の世界で迷い悩んでいらっしゃると思うのです。

深層で「自分は・・」と言う思いが在ります。

それ故、人に攻撃的に成ったり批判的に成ったりして自分を「守ろう」「大きく見せよう」と必死に成る。

「強がり」「批判的」「否定的」「反抗的」な発言や行動に出るのは「自信の無さ」の象徴的な例だと思います。

子供の反抗期も、似たようなモノ・

その人の「考えてる事」「思ってる事」は、必ず無意識に言葉や行動に宿りますから隠せない。

一方

社会人の多くは、人に傷付き、人を恐れ、人との関わりを避けてしまう傾向に成る。

反抗するか、合わせるか、塞ぎ込むか・

大多数は「反抗」こそ控えますが、「合わせて」其れなりに世の中、世間を渡り歩く。

塞ぎ込む・・それはそれで「辛い」

社会の中、組織集団の中では「緊張、恐怖、不安」で自分を出せないで居ますが、一人の空間や心許せる空間では別人格の如くの行動をするのも特徴的だと思います。

わたくし自身、その様な時期がございましたし社会生活の中、自分と言う人間に全く自信の持てない感覚で生きる時の心境は分かるつもりです。

他からの「視線」が気になり、身体が硬直して息をするのも難しい・・それ程の精神状態。

人間社会の日常生活で、当たり前の事や普通の事と言われる事にも支障が出る状態・・

わたくしも経験がございます。

社会生活ではストレスや不安しかございませんでしたが、一人の時には「車」が好きでしたからお金を掛けてイジリ、夜な夜な「宛も無く」街中を走っておりました。

それで「心」は満たされましたし、「自分」を何とか維持する事が出来た。

一人の時間は大好きだけど、社会、公の場は苦手で苦痛でしか無い・・

そんな自分に似てる・・新しい人




一人の「理解者」が居れば、人は生きていける。

わたくしは、上記の様な状態の時「周囲」からは異質者と思われて居たと思います。

仕事上でも、必要以上にモノも言わなかったですしワイワイと普通に会話する場には寄らなかった。

だから「仕事」を覚える機会も、新しい仕事を任される事も少なかったです。

人によっては、直接「お前はホンマにアカンな」「もっと積極的になれよ!」と言う人も居ましたし、言葉にこそ出しませんでしたが「態度」で自分を軽んじ軽蔑する人も居た。

食べて行かなくては成りませんし、帰れる家や待ってる人頼る人も居ませんでしたから、嫌でも働かざる得ませんでした。

自営だろうが務めだろうが、「人」との関わり無しに生きて行く事は不可能・・ましてや現代と違い「パソコン、スマホ」もございませんでしたから。

でもね

たった一人だけ、自分を気に掛け構ってくれる人が居た。

当時のわたくしは「20代」で、その方は「50代位」だったと記憶してます。

その方の家で「晩御飯」に誘われたり、やらしいビデオを観せてくれたり(笑)、娘さんと交えて祭りに連れだってくれたり・・

特に「仕事上」では、その方の存在は大きかった。

暴言とも取れる言葉を浴びせられたり、自分の存在が見えないかの如くの態度を取る人間が大多数の中、その人は「○○しとけば大丈夫だから」「○○しといてくれるか」と関わってくれた。

わたくしは、その様な経験が在りますし、会社の新しい人にも「その経験」を感じ取れた。

・・・

このブログを読んで頂いてる方々は、様々な経験や過去を持っていらっしゃると思う。

また、それらから学び「活かす」気持ちも持ち合わせていらっしゃると思うのです。

視野の広い方々だと思います。

自分も大切だけど、「同じ位」に人の事も思える人だと思う。

口では「綺麗事」を並べても、実際の行動と伴う人間は数少ない。

前に書きましたが、人間社会は「椅子取りゲーム」の様なモノ。

誰もが「自分の座るイス」を必死で確保しようと他人を押し退け計算し出し抜こうとする。

「良いよ、君が先に座りなよ」

実際に行動に移せる人は、多くは無い。

何故か?

妹や弟と一枚のチョコレートを分かち合う時、「良いよ、お前らで半分づつ食べな」と言えるのは「無償の愛」が在るから。

このブログを、此処まで読んで頂いてる方は「その次元」に生きる方だと思う。

砂漠で迷って危ない状況でも、少ない水を「他人」に与えられる心の持ち主だと思います。

チョコレートを奪い合い、水を奪い合う様な「争い」をする次元には住んで居られない。

何故か?

本当に「苦しみ」を知り、苦しみから「学ばれた」から。
 
苦しみを知る人は沢山いらっしゃるが、其処から「学び」「活かす」流れに到達する人は数少ない。

苦しみを知り、その苦しみを「二度と味わいたく無い」と自分だけの保身に使う人が大多数。

イスに座れないと「困る、辛い」と分かっては居る、だからまず先に「自分」が座る。

他者を蹴落とし張り倒し「自分が座る」

座った上で「大丈夫か?」「がんばれよ」と言う白々しい人は存在しますし、それが「常識」なのかも知れません。

ただ・・

イスに座れないと「困る、辛い」と分かって居るからこそ、まず先に「貴方が座りなよ」と譲れる人間も間違いなく存在する

自己犠牲と捉えるか、お人好しと捉えるかは「他人」が決める事。

そんな人間が「一人」居れば、居る事を知れば・・人は生きて行ける。

そして、何時の日か「貴方自身」が目指せば良い・・人に生きる希望を与える側に✨




自分が調子の良い時、順調に事が展開してる時に「人」の本性は表れると思うのです。

天狗になり傲慢に成る人は居ますし、調子に乗り周りが見えなく成る程浮かれる人も居ます。

それが「悪い」「器が小さい」とは思わない。

基本、人は「自分」が一番大切ですし、自分にしか関心も興味も無い生き物。

人間社会の常識で考えると、自分が損をして迄、自分の身を挺して迄「自分以外」の事を考え行動に移せる人間は少ない。

誰だって「自分の事」なら必死に成れますし、真剣に考えられます。

その「自分」と言う概念が無限大に「広い心」の持ち主は実在する。

わたくしは、その様な方と出会い「前」に進む事が出来ましたし、辛い状況も何とか乗り越える事が出来ました。


現実、状況が「苦しく辛い」なら、ある意味「自分が引き寄せて居る」のも確かだと思います。

辛い、苦しい事ばかりに気を取られますと、その状況を色濃く映し出す「出会い、出来事」を望んで居ると「お天道様」は判断します。

お天道様?

内面の自分

自分の「生きたい世界」「在りたい自分」は自分で決めれます。

今、人生に迷い悩み「何をしたら良いのか?」「自分は何がしたいのか?」わからずに日々過ごされてるなら・・

それも「自分の内面」が現実に映し出されてるに過ぎない。

わたくしも色々な「欲」「願望」を満たしたかったですし、現実とのギャップに苦しんだ時期がございます。

目の前の現実社会が「全て」で、現実だけを見ては振り回されて居った気がします。


誠実、正直、胸張って生きれる自分

それだけしか考えてません。

楽ですし、その決めた世界に添う「出来事、出会い」が映し出されて居ます。

イレギュラーな場面が訪れても、「誠実、正直、胸張って生きれる自分」と言う方向性を決めてますから迷う事は無い

今回、会社に「過去の自分」を思い出させる新しい人が入社したのも「意味」が在ると思うのです。

あの頃

自分はどんな気持ちやったかな?
どんな事やどんな人が嬉しかったかな?
何が嫌で、何が苦痛や不安だったかな?

再確認と同時に、目の前の事だけに囚われ「人」を判断するのでは無く、過去も未来も見据えた上で「人」と関わり、互いに「善き方向」へと進める関係に成りたい・・そう思えました。


長々と書いてしまいました・


人は誰でも「似たような能力」は在ります。基本性能に大した差は無いですが、その性能、能力を育て育むのは「意識、思考」の担当。

自信を無くしたり、自分が劣って居ると思ってしまう気持ちも分かります。

忘れ無いで頂きたいのは・・

そんな貴方を大切に思ってる人は居る
そんな貴方を必要としてる人は居る

そして

「思い」が貴方の生きる世界を映してる。

こんな自分で在りたい   
こんな世界に住みたい
こんな人と関わりたい

その「思い」が必ず現実に成りますし、その「思い」は必ず実現する。

それが、この世の真実だと確信してます。

難しく無い


自分が「何を考え、思って居るか?」に気付けば今に納得出来ますし、「未来」を意図的に映し出す事は誰にでも出来る。


がんばって (^_^)



イチゴ買いました。\(^^)/