こんにちは。
kodamaです。
昨日の続きになりますが、
私自身も、なんでそんなに自分に力をつけたいのか、
よくわかりませんでした。
いろいろ考えてみたのですが、
たぶん、大きな理由として、『母の死』というのは大きいかなと思います。
私の母は、3年ほど前になくなったのですが、
そのときの経験は、本当に貴重な経験でした。
私が大学生だったときから、癌で、
一度は、治ったので、安心していたのですが、
どうやら転移をしていたらしく、それからが結構大変でした。
私は、結局、就職先も決まらないまま、卒業をし、
その後は、東京のビジネススクールに半年ほど通っていました。
まぁフリーターみたいなものですね。
そのビジネススクールが終わった夏ごろから、段々と症状がきつくなり、
秋くらいからは、一人で歩くのが困難になってきました。
父親は、母の治療費のために、それこそ、
これまで以上に働き尽くめ。
姉は公務員だったので、介護休暇を使って、実家に帰ってきてくれました。
でもなんといっても、働いてもいないし、学校にも行ってないし、体力もある私が、
結構付き添っていました。
なるべくおうちにいたいという本人の意思もあって、
ギリギリまでおうちにいましたが、
ちょっととてもおうちでの生活が困難になって、
とうとう入院をすることに決めたのが、10月だったかな。
・・・もう、そこからが大変でした。
一人ではトイレに行けないけど、トイレに行くくらいの運動はしないと
もう本当に歩けなくなってしまう、ということで、
いつも私が、母を車椅子に乗せて、トイレに連れて行ってました。
看護婦さんは、とにかく大忙しで、母の面倒をずっとみてくれるなんてできないので、
朝から晩まで、ずーっと、16じかんくらい毎日一緒にいました。
入院したのはいいんだけど、母はもともと、すごく料理にはこだわっていたし、
おいしいものをいつも食べていたので、病院のごはんは全然食べなくて、
毎食、姉がご飯を作って持ってきてくれました。
いろいろと必要なものが出てくるので、買い物は父。
こうやって3人で、役割分担して、何とかやっていけるくらい、介護って大変・・。
でも、そのとき思ったのが、
私がたまたまプータローだったからよかったけど、
これがもし、入社したての一年目だったらどうなってたやろ・・。
公務員ならまだしも、一般の民間で、半年も介護休暇なんてありえない・・。
となると、母を取るか、仕事をとるか。
きっとそういう選択肢に迫られていただろう・・。
じゃあ、そのときに、ものすごく必死に、やっとの思いで入った会社だったら、
そんなに簡単に辞めれるだろうか・・。
もし辞めることができたとして、その後はどうなるんだろう・・。
何かに依存をしていて、『私はここじゃなければやっていけない。』 『ここを辞めたら、もう行くところがない』
そんなことになったら、自分が大切にしたい人や大事にしたいこともできなくなる。
そうなるのが嫌だった。
自分に正直でいたいし、自分の大切な人を大切にできるように、
自分の人生は、いつも自分で選べるような人間でいたい、
そう強く思ったので、私はとにかく、自分に力をつけたかったのだと思う。
ほかにも、私の性格として、何においても、『誰かに頼りたくない』という意識は、人並み以上に強い気もする。
***昨日の行動***
学生さんとランチ。企業さん訪問1件。
久しぶりのYさんとのランチ、楽しかった~。
元気そうで安心しました!