楊谷寺(ようこくじ)「柳谷観音(やなぎたにかんのん)」

https://yanagidani.jp/

 長岡京市浄土谷にあり、阪急「長岡天神」からタクシーで13分。脚に自身のある方は阪急バスで「奥海印寺」まで行き、そこから歩いてみるのはいかがでしょう。

 延鎮僧都(清水寺開創)による開山。夢告に従い西山に行き、生身の十一面千手千眼観世音菩薩に逢い、給仕していたという伝説があります。それが本堂の厄除け、諸病平癒の観音様ですが、奥ノ院の観音様子授け安産です。江戸期、東山天皇の皇后新崇賢門院様が皇子をたびたび授かっても各々幼く亡くされので、当山御本尊に祈願され無事お生まれになったのが中御門天皇ということです。その皇子が九歳の折両親を亡くされ、その追善のために御造りされたのが奥ノ院の観音様とのことです。境内には眼病に効く「独鈷水」も。洛西観音霊場第十番札所。

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乙訓寺(おとくにでら) 地蔵堂「日限地蔵(ひぎりじぞう)」

 長岡京市今里3丁目にあり、阪急バス「薬師堂」が最寄。

 真言宗の寺院。本尊は合体大師像。推古天皇の勅願により聖徳太子が創建。平安中期、弘法大師が別当となりさまざまな事跡を残され、室町末期に衰微するが江戸期五代綱吉の母桂昌院の援助で堂宇再建。地蔵堂の日限地蔵は、日を限って願うと叶うとされ、縁結び、安産などで知られています。4月下旬の牡丹で有名。洛西観音霊場第六番札所。

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子守勝手神社(こもりかってじんじゃ)

 長岡京市粟生清水谷にあり、阪急バス「光明寺」が最寄。

 子守社は用水を司る水分神、勝手社は国土を開き国家を守る天忍穂耳尊、大山祇命を祀っています。水の神にして、女人安産、子孫繁栄の守護神とされます。通常無人の社。

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「不焼地蔵尊(やけずじぞうそん)」能化院(のうけいん)

 

 宇治市木幡中村にあり、JR奈良線「木幡」、京阪「木幡」が最寄。

 平安初期に坂上田村麻呂が建立、延鎮僧都の開基とされています。度重なる戦火で堂宇は焼け、唯一木像地蔵尊像のみが林中に飛び出したり火中に無事であったりして「不焼地蔵」の名が知れわたったそうです。平安中期、地蔵尊は藤原道長公・頼通公の帰依を得、北の方高倉殿はその御加護で安産なされたことより「安産子安の地蔵」として信仰されまた、鎌倉期、関白基経公の北の方が十二ヶ月を経ても臨産なく、地蔵尊に祈願されたところたちまち御安産なされたそうです。現在は本堂を収蔵庫が包むように建っています。

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巨椋神社(おぐらじんじゃ)子守神社

 宇治市小倉町寺内にあり、近鉄「小倉」が最寄。

 平安初期、文徳天皇の皇子、惟喬親王が子供愛護の大御心によって建立。昔三疋の大鳥が来りて悩ましたので、親王に命じて諸国を巡り退治させられたそうです。帰途小倉村中の小路に子守大神・天磐樟船神を祀られたのが起こりとのこと。子供の夜泣きかん虫病気に霊験あり。巨椋神社の御祭神は、武甕槌神、経津主神、天児屋根神、比咩神。子守大神はその合殿。

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縣神社(あがたじんじゃ)

 宇治市宇治蓮華にあり、京阪「宇治」、JR奈良線「宇治」が便利。

 当地の地主神でしたが、藤原頼道の平等院建立にあたり、その総鎮守となったそうです。御祭神は木花開耶姫命。天津彦彦火瓊々杵尊の妃となりましたが、ただ一夜にして孕んだことで疑われ、「天孫の胤ならば、害わるる事なけれん」と室に火を放って産み給うた御子はみな無事でした。姫命は貞操の女神として結婚・安産の守護神として敬われています。良縁・安産祈願、腹痛・下の病平癒、商売繁盛が御利益。

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講田寺(こうでんじ)

 八幡市橋本平野山にあり、京阪バス「橋本小学校」が最寄。京阪「橋本」が次善。

 曹洞宗の寺院。本尊は観世音菩薩。左手に地蔵堂があり、微笑をたたえた笑地蔵が安置されています。昔、淀川に橋がかけられたが何度も流されたので、ついに人柱が立てられ、そのせいか流されなくなったそうです。人柱になった男の娘は嘆き悲しみ、ついに物言わぬ人となり、父の菩提を弔うため尼となって対岸に庵を結びました。あるとき朽ちた橋の杭が水底から現れ、娘はそれに地蔵尊を彫って供養、人々は笑地蔵と呼び、水難除け、安産などの信仰を集めたということです。

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石田神社(いわたじんじゃ)

 八幡市岩田茶屋ノ前にあり、京阪バス・コミュニティバスやわた「岩田北」が最寄。

 御祭神は、天照皇大神、大山咋命、五十日足彦命。岩田地区では毎年正月に刈り取った綿をつむいで布を織り、厄除けを祈願してお宮に奉納し、賽銭箱の上の鈴に結わえ、身ごもった女性が5ヶ月になるとその布をもらいしっかりお腹に巻いたそうです。これが岩田帯の起源とのことです(昔話は下の西福寺の項にて)。石田神社は他に2箇所(上津屋里垣内、岩田里)にありますが、岩田帯の発祥地はこことされます。通常無人の社。

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西福寺(さいふくじ)

 八幡市岩田北ノ口にあり、京阪バス・コミュニティバスやわた「岩田北」が最寄。石田神社の南南東200m。

 開山は不明。元天台宗の寺院で、江戸期より浄土宗。本尊は阿弥陀如来。岩田の村一帯が綿の産地だった昔のこと、沢山のお供を連れた身重のお姫様一行が通りかかった時、急に産気づかれお供の衆が慌てふためく中、気を利かせた岩田の村人が姫様を小屋に綿を敷き詰めて休ませたそうです。当時としては珍しい安産だったとのこと。以来縁起を担いで、刈り取った綿をつむいで布を織り、お腹にしっかり巻いて安産祈願するようになり、これが岩田帯の起こりということです。当寺では持参された岩田帯に安産祈願も。

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荒見神社(あらみじんじゃ)

 城陽市富野荒見田にあり、JR奈良線「長池」が最寄ですが、近鉄「富野荘」も便利。

 飛鳥時代に五社谷に創建、室町期に現在地に遷宮とのこと。御祭神は、天火明尊、天香語山尊、天村雲尊、阿比良依姫尊木花開耶姫尊。阿比良依姫尊は神武天皇の妃で、子孫繁栄、安産、育児の幸神様。木花開耶姫尊は天孫瓊々杵尊の妃で、縁結び、子授安産、育児、美容の神様。境内には「菊水・新水乃真名井」も湧いています。

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善正寺(ぜんしょうじ)

http://www.zensyouji.com/

 木津川市山城町上狛巽町にあり、JR奈良線「上狛」が最寄。

 大和時代の高麗寺の大伽藍が数度の火災に遭い、桃山時代に一部が善正寺と改称され現在に至るそうです。真言宗の寺院。本尊は弘法大師の甥、円珍の作とされる不動明王。鬼子母神安産、幼児の無事成長、夫婦和合、幸福地蔵木像は子供の守り仏で子宝成就ということです。

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恋志谷神社(こいしだにじんじゃ)(天満宮の末社)

 相楽郡南山城村南大河原にあり、JR関西本線「大河原」が最寄。恋路橋(増水時には沈むので注意)を渡ってすぐ。

 御祭神である恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側女であったとされています。鎌倉末期、後醍醐天皇の軍勢は笠置山での勝利の後、敗れて隠岐へ配流されました。一方、病を治すために伊勢にいた姫は、笠置山に向かう途中、南大河原の古森で天皇の不在を知り、悲しみのあまり持病が再発、自ら命を絶ったとのことです。御神徳は恋愛成就、子授け安産。明治期に天満宮の末社として当地に移転。

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岩船寺(がんせんじ)

 木津川市加茂町岩船上ノ門にあり、奈良交通(JR加茂発、加茂山の家行)「岩船寺前」が最寄。 

 奈良期、聖武天皇が夢告に従い阿弥陀堂建立を発願、行基に命じて創建。平安初期、嵯峨天皇が智泉大徳に勅命して皇孫の誕生を祈願し、皇子が誕生されました(後の任命天皇)。その後戦火により一時衰え、江戸期に再興。真言律宗の寺院。安産出生の祈祷は要予約。本尊阿弥陀如来、不動明王、地蔵堂の厄除け地蔵子授け安産の力がありそうです。石室不動明王は眼病平癒。

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浄瑠璃寺(じょうるりじ)

 木津川市加茂町西小にあり、奈良交通(JR加茂発、加茂山の家行)「浄瑠璃寺前」が最寄。

 平安後期創建の真言律宗の寺院。創建時の本尊、薬師如来の浄土、浄瑠璃世界から寺名がついたとのこと。平安末期に九体阿弥陀堂建立。九体阿弥陀如来の中尊像の右に子育安産の腹帯を巻いた子安地蔵が立っています。三重塔には東方本尊薬師仏を安置。岩船寺~浄瑠璃寺周辺の当尾地区には多くの石仏が点在しています。

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女人堂の光明杉<境内地なし>

 宇治市炭山にあり、京阪宇治バス「東御蔵山」が最寄ですが、そこからゆうに徒歩1時間かかります。車なしのアクセスは困難。炭山工芸村内の女人堂(無人)の前に一本の杉があります。昔、熱心に女人堂の観音さまを信仰していた子のできない夫婦が、観音様の夢告に従い光る杉の木を探すと、女人堂の前の杉が光り、根元には赤ん坊が寝かされていたということです。以来安産の観音様として信仰を集めたとのことです。

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八角院(はっかくいん)の安産地蔵大菩薩<境内地なし>

 八幡市八幡大芝にあり、京阪バス・コミュニティバスやわた「大芝」が最寄。西車塚古墳の後円部の上に建っています。神仏分離により石清水八幡宮から堂宇、仏像が撤去された際当地に移転。八角堂には阿弥陀如来坐像が安置されています。左手の地蔵堂に安産地蔵大菩薩が鎮座していますが、詳細は不明です。

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石造子安地蔵菩薩<境内地なし>

 和束町撰原にあり、奈良交通(JR加茂・木津発、和束町小杉行)「和束長井」が最寄。GS前のバス停から少し戻り、急坂を登り吉田工務店の向かいの山道へ入ると茶畑の農道ヘ出て、それを左へ道なりに。像高126cmの花崗岩製。鎌倉後期の作。土地の人々から安産を司る子安地蔵として親しまれてきたとのことです。健脚向けです。wood craft MIYAの隣から若干近道あり。

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