太平洋のさざ波 6(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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 上京して10年あまり、ここ2年は船橋在住とはいえ、
 西武新宿線を利用したことがなく、
 池袋線もしかりで、ここに来るのも初めてだ。

 


 これまでに何度かこのカフェを利用したことがあるという彼女によれば、ここから駅ビルと西武系のプリンスホテルの行き来も可能で、通り沿いの窓の側のテーブル椅子に腰を下ろすと、
 あらためて、口を開いた。



「はじめまして、わたしはマキと申します。
 正式なミャンマー名があるのですが、
 何度申し上げても、日本人には覚えてもらえない名前のようで、 わたしも日本の方もぎぐしゃくしてしまうので、
 日本人にも覚えてもらえるようにマキと名乗っています。
 よろしくお願い致します」



 日本の空気を読んでか、日本人が覚えやすいようにマキと名乗る。
 同じように香港でもシンガポールでも、中国系の人が英語名を名乗っている。

 


「僕は吉田と言います。
 こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」

 


 いつもなら、俺と言うところを、少しばかりあらたまった。



 ウェイターが注文を取りに来ると、

 


「わたしはドリップコーヒー」
「僕も同じで」

 


 彼が下がるを待って、

 


「はじめましては間違っていましたね。
 今日でお会いするのが2度目ですから、
 このような場合は日本ではなんと言うのですか?」



 応えられなまま、彼女を観察すると、
 歩いている時はほぼ同じだった身長だったが、
 椅子に座ると俺よりは5センチ以上、上半身が低い。
ヒールを差し引いても、俺より5センチ以上足が長いということだ。

 


 薄化粧を考慮しても、一般的な日本人に比べ少々肌色が濃く、
 長い黒髪に小さな顔と黒目というより、焦げ茶色の大きな目に小さな鼻と口がチャームポイントになっている。



 先述のように東南アジアは何度か訪れているが、
 インパール作戦から70年余りが経過して、多くの日本人にとって遠く昔の過ぎ去った出来事になってしまった。

 


 昭和の日本人にはミャンマーといようりビルマといったがほうがピンとくるはずだし、小説から映画にもなったビルマの竪琴が印象に残っているはずだ。



 ミャンマーという未知の国は国民の多数が仏教徒なのを知っていていたとして、実際、ミャンマー人がどのような人々なのか皆目見当が付かなかったのである。

 


 唯一知っているミャンマー人女性のスーチー女史をTVやネットの映像で拝見するかぎり、年齢を経ても、美貌を保ち続ける女史の若かりし頃を察すると、目の前に座るマキという名の知的でスリムな女性と、似ていなくもない。



「さっきから、わたしの顔をじろじろとご覧になって、
 何か面白い物でも付いていますか?」

 


 彼女が言った直後にコーヒーが運ばれてきた。



「あなたがお綺麗なので、見蕩れていました」

 


「お上手ですね。
 お言葉を真に受けてもよろしいですか?」

 


 そう言って、俺の顔を睨むように見つめ、彼女は黙ってコーヒーを飲んだ。


 互いに言葉が続かず、数分間の沈黙のあと、彼女が言葉を切り出した。


「わたし、東京に丸2年住んでいると申しましたが、
 この春から千葉の大学に3回生として編入することになっています。

 


 今、住んでいる西武新宿線沿線のアパートから通学できなこともないのですが、大学まで1時間半から2時間近くかかったしまうので、引っ越すかどうか悩んでいます。

 


 この沿線にはミャンマー人が多く住んでいますし、
 高田の馬場はリトルヤンゴンといわれるほど、
 小さいながらも日本一のミャンマー人のコミュニティがあって、何かと心の支えになっているので、
 引っ越しシーズンを前に考え込んでいます」



「4月から大学生ですか?」

 


「はい」

 


 心持ち弾んだ声で彼女が応えた。



「僕は千葉県船橋市に住んでマスコミ関係の仕事に就いています。
 最寄り駅は西船橋で地下鉄で都心に通勤して、通勤時間は30分程度と杉並からと対して変わらないのですが、下手したら船橋からの方が早かったりもするのですが、そこは千葉です。

 


 船橋の前は杉並区に住み、東京から千葉に移り住んだ者として申し上げると、仕事、バイト、大学生活、友人との交流など、
 上げたらきりがないほど東京は何かと便利です」

 


 ここで、コーヒーカップを手に取り、喉の渇きを潤した。



「杉並のどちらにお住まいでした?」

 


「西荻窪です」

 


「そうですか。
 わたしも杉並区内に住んでいます」

 


「学生時代から西荻窪界隈に住み着いて、杉並の外れで、
 ぎりぎり23区内で、通勤通学には西荻窪を利用していましたが、ちょっとした用事は吉祥寺で済ませ、
 渋谷、新宿、吉祥寺の周りをぐるぐる周る生活をかれこれ8年続けました」



「吉祥寺が近くて羨ましい。
 わたしが住むアパートは同じ杉並区内でも西武新宿沿線の地味な住宅街にあって、吉祥寺までは距離があります。

 


 通学に便利なのと、ミャンマー人コミュニティがある高田馬場に便利な今のアパートに住んでいるのですが、
 住めば都の言葉があるように慣れてしまえば住みやすく、 
 ここから動くとなると」

 


 ここで彼女はコーヒーカップに手を取った。



「4月までには少し時間がありますね。
 ネットで下調べするのもいいですけど、
 実際、千葉まで出向いて、自分の目で見られてはどうですか?」

 


「そうですね」

 


「先週、西船橋の不動屋さんの前で若い店員さんに声を掛けられ、 お店に入って、世間話をしてきたところです。
 今まで、千葉に行かれたことはありますか?」



「初めて日本の地を踏んだのが成田空港で年に1度は帰国します。 

 日本を訪れた両親の出迎えや見送りを含め、
 なんだかんだと、成田に4、5回は行っていますが、
 千葉県内で空港の他は大学の編入試験と面接以外は友人とディズニーランドに1度行ったきりです」

 


「千葉県内は成田空港と大学とディズニー以外は行ったことがない」

 


「はい、そうです」



「西船橋の賃貸マンションに2年近く住む僕もあなたも似たようなものです。
 成田に加え、IKEAとコストコに数回とディズニー、野球とサッカーと中山競馬場、友人の車で夜中に房総半島を訪れたのが一度ずつです」

 


「競馬場といえば、お馬さんが走る所ですか?」

 


「そうです」

 


「ミャンマーにもヤンゴン近郊に競馬場があったように想うのですが、わたしはそれ以上のことは知りません」



「そうなんですね。
 今日は西船橋から南船橋にあるIKEAに行って、
 近くのららぽーとに寄り、西船橋から銀座まで出向き、 
 歩行者天国を闊歩して、もう一度地下鉄に揺られ、
 表参道から原宿、明治新宮、渋谷まで歩きました。

 


 渋谷から地下鉄の副都心に乗り、新宿3丁目で降りて、
 紀伊國屋のエスカレーターに乗っている最中にあなたに声を掛けられました」

 


「お忙しい土曜日ですね。
 在日ミャンマー人や学校の友人から噂には聞くのですが、
 スマホで検索すればいいのですが、
 無精者のわたしはIKEAとコストコが日本のどこのあるか、                見当も付かなかったので、千葉にあると教えていただいてありがとうございます」


「それはそうと、ハワイに行かれた目的は観光ですか?」

 


「わたしですか?」

 


 一瞬、彼女は固まった。

 


「短大の卒業旅行にハワイ行きの安いチケットが手に入ると、
 ディズニーに連れだった日本人の友人に誘われて、一緒にハワイに行きました。

 


 わたし、ミャンマー人でもちろんミャンマーのパスポートなので、本当にハワイに行けるのかどうか心配でしたが、
 東京のアメリカ領事館に出向くと、想ったより簡単にビザが取れて胸を撫で下ろしました」

 


 マキはここで一息ついた。

 

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